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あの夏の記憶。わが青春の甲子園

あの夏の証言 西武・岡田雅利「高校生離れした配球をしてくる斎藤さんは頭のいい投手でした」

 

早実(西東京)・斎藤佑樹フィーバーに沸いた2006年夏。決勝で駒大苫小牧(南北海道)を再試合の末、倒した早実との2回戦で対戦したのが大阪桐蔭だった。2年生だった中田翔とともに同校に在籍していた岡田雅利が当時の思い出を語る。
取材・構成=小林光男 写真=BBM

岡田雅利[大阪桐蔭高2005〜07/現・西武]

2年生ながら甲子園2試合でスタメンマスクをかぶった岡田


【甲子園成績】2年夏2回戦、3年春準々決勝

初回三盗を刺したのがターニングポイント


激戦区・大阪を勝ち抜き、2年連続4度目の甲子園出場を決めた大阪桐蔭。前年、全国ベスト4のメンバーが7人残っており、上位進出が期待されていた。だが、1回戦でいきなりセンバツ覇者・横浜と対戦することに。3年に福田永将(現中日)、下水流昂(現楽天)、佐藤賢治(のちロッテ日本ハム)、2年に高濱卓也(現ロッテ)を擁した横浜は神奈川県大会では大会記録の11連打、タイ記録の1試合5本塁打をマーク。チーム打率は.434、7試合で83得点と、打線がすさまじい破壊力を発揮していた。2年生で甲子園には初出場となる岡田雅利は「勝てるのかな……」と不安に陥っていたという。



 横浜は錚々(そうそう)たるメンバーがそろっていましたからね。初日に横浜と当たると決まったときには「最悪や〜」という感じでした。大会前、横浜がプレーしているビデオを見せられたんですけど、すごいバッティングばかりで。見れば見るほど強いということが刷り込まれてしまう(笑)。だから、選手間で「あんまり見んとこう」と話した記憶はあります。開会式後に、(第3試合の)僕らは鳴尾浜の施設に放り込まれて、ふすま1枚を隔てた隣の部屋に横浜ナインがいたんですけど、すごく落ち着いて笑い声がしたりして。「余裕やな。やっぱり横浜はすごいな」と実感したことも印象的です。

 試合は僕がスタメンマスクをかぶりました。中田(翔。現日本ハム)は右ヒジの故障で投げられなかったんですけど、先発は同級生の石田(石田大樹)。西谷(西谷浩一)監督は2年生バッテリーに託してくれました。でも、西谷監督から細かいことは何も言われなかったですね。ただ、「思い切りやってこい」ということだけでした。だから、バッテリーでも横浜打線対策を練るより、とにかく自分のすべてを出してぶつかろうと考えただけでしたね。

 試合は・・・

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