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東京2020オリンピック王者 日本代表監督インタビュー

日本代表・稲葉篤紀監督インタビュー 笑顔の指揮官、東京五輪を語る「センターポールに日の丸が掲揚される中で国歌。あの瞬間に勝るものはない」

 

4年をかけてチームをつくり上げ、最高の成果を挙げた。2017年7月31日の日本代表監督就任は、東京2020オリンピックで頂点に立つため。1年の大会延期も、信念が揺らぐことはなかった。過去7度のオリンピックでの金メダル獲得は、公開競技だった84年のロサンゼルス大会での1度のみ。プロの参加が認められた00年のシドニー大会以降は、04年アテネ大会の銅メダルが最高位だったが、今大会では見事にライバルたちを退け、5戦全勝で日本球界の悲願である金メダルを獲得した。
取材・構成=坂本匠 写真=小山真司(インタビュー)


【五輪制覇、その舞台裏は?】坂本勇人の厳しい指摘 5戦全勝は最高の形


 戦いを終えた稲葉篤紀監督は、穏やかに東京2020オリンピックを振り返った。話を聞いたのは、決勝から1週間後。開幕前にも本誌(7月12日号)で『オリンピック直前展望』と題しインタビューを敢行しているが、緊張感に満ちた約1カ月前とは表情が異なるのは当然か。最大のターゲットであったオリンピックで金メダルを獲得。その舞台裏を訊(き)いた。

 オリンピックが閉会してから時間が経ちましたが、まだ実感が湧きません。多くの方に「おめでとうございます」と言っていただけて、勝つことができて良かったなぁとは思いますが、これで私の役目も終わったと、ホッとした気持ちのほうが強いです。2017年7月に日本代表の監督に就任して、東京オリンピックで勝つことが最大のターゲット。19年に行われたプレミア12で優勝しても、喜びはあったものの、「まだ、1つ先がある」と気が抜けませんでしたからね。

 決勝のアメリカ戦(※8月7日、横浜スタジアム)は、9回二死を迎えた時点でも正直、最後まで何があるか分からない。3つめのアウトを取るまで、スキを見せたくないなという感情でいました。実際、リードは2点(2対0)で、二死からランナーが1人出ています。一発のある打線、ホームランで一気に同点ですから、ベンチの私が気を抜いたらやられるのではないか。そんな思いでいました。

 最後はこの5試合を通してクローザーとして頑張ってくれた栗林良吏(広島)がセカンドゴロに打ち取り、試合終了。選手たちがマウンドに駆け出して喜び合うあの光景は、とても良かったですね。私はコーチ陣、スタッフのみんなと抱き合いましたが、4年間一緒に戦ってきてくれて、ともにいろいろなことを経験しながらここまでやってくれた仲間。みんなにはいっぱい助けられたな、と。勝った直後というのは、そういう思いでした。

 決勝のウイニングボールは、これを処理した坂本勇人(巨人)が私のところに持ってきてくれました。満面の笑顔で(笑)。最後の瞬間、打球を捕球した菊池涼介(広島)も自分でセカンドベースを踏めるくらいの距離にいたんですが、あえて勇人にトスした。それも巡り合わせなのかなと。私はこのチームにあえてキャプテンを置かないことにしていたのですが、最年長でもある勇人にはリーダー格としてチームを引っ張っていくことを期待していました。グラウンドで、ベンチで、国際経験も豊富な彼がチームに与えた影響は少なくありません。

 あれは仙台での合宿中、投内連係で、ある投手がイージーミスをしたんです。仕方がないヤツだな、という和やかな雰囲気だったんですが、そのとき勇人が「その一球で変わるぞ!」とぴしゃり。和気あいあと楽しくやるのはいい。でも、われわれは日本の代表として、金メダルに向けて戦っていくわけですから、正すべきところは正さなければいけない。その姿を見て、さすがだな、と思いました。そんな勇人からウイニングボールを受け取ったのはうれしかったですし、あの笑顔ですよね。私が監督となって、勇人にはプレミア12からチームに加わってもらったのですが、今回も開幕戦から5試合、ショートというポジションでフルイニング出場してくれました。事あるごとに「オリンピックを目標にやってきた」と言ってくれていますけれども、そういう想いが彼の表情にも出ていましたので、本当にうれしかったです。

 選手たちに金メダルを獲らせたいという思いでしたので、セレモニーの際に表彰台の真ん中に立っている姿を見て、頼もしく思いましたし、本当に良かったなと。もはや親心に近い感覚。そして最後の国歌です。センターポールに日の丸が掲揚される中で国歌が流れる。あの瞬間に勝るものはありません。オリンピックのハイライトの1つでしょう。また、日本の全競技の通算メダル獲得数の中の1つとして、『野球』がカウントされるのもうれしかった。金メダルを獲ったらどうなるか、誰も知らない世界でしたので、知らない世界をみんなで味わえて、私も良い経験になりました。

 私が選手として、08年の北京大会で悔しい思いをしたことで、「オリンピックの借りは、オリンピックで返す」というような発言も大会前にはしていましたけれども、いざ仙台で集合して、大会に向けた合宿が始まってしまえば、私の個人的な感情はどこかに飛んで行ってしまいました。このチームで勝つ。選手たちに金メダルを獲らせる。そのことだけに集中していました。

 ただ、まさか……と言ったらおかしいですが(苦笑)、最短の5戦で金メダルまで到達できるとは。複雑な大会形式で、考えられる中で最高の勝ち上がり方なのですが、われわれは・・・

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