入団前から端正な顔立ちから人気を集め、遊撃の鉄壁守備で1976年から8年連続でダイヤモンドグラブ賞を獲得した山下大輔氏と、スーパーカートリオの一角として一世を風靡(ふうび)し、二塁で堅実な守備を見せた高木豊氏。83年にはそろってダイヤモンドグラブ賞を獲得した元大洋の二遊間コンビがグラブの思い出を語る。 取材・構成=滝川和臣 写真=幡原裕治(インタビュー)、BBM [左]山下大輔◎元大洋/内野手 [右]高木豊◎元大洋・横浜ほか/内野手
雑巾のような名グラブ
──お二人は現役時代、どこのメーカーのグラブを使われていましたか。 山下 入団したころ契約していたのは美津和タイガー。その後、SSKと契約したけれど、実際に試合で使っていたのはアメリカのローリングスでした。
高木 それ、美津和タイガー、SSKとしてはOKだったんですか?
山下 美津和タイガーやSSKからは、毎年「山下大輔モデル」が発売されていて、年に1度くらいグラブを試す機会があった。そこで要望を伝えても、あまり使えるグラブにならなくて。だからローリングスを個人で購入して使っていたけれど、文句を言われた記憶はなかったかな。豊はどうだった?
高木 僕は1981年に入団してすぐにトラストというメーカーと契約して、その後、アシックスと契約しました。アシックスはローリングスとライセンス契約を結んでいたので(現在は解消)、ローリングスのグラブを使っていました。グラブについては、当然、チームメートの山下さんの影響が大きいです。一緒に二遊間を守る先輩がどんなグラブを使っているのか、やっぱりうまい人のグラブをマネしたくなるものですからね。山下さんが使っていたのと同じグラブも使ったし、あとはメジャーの名手、オジー・
スミスのモデルを使っていましたね。
──大洋で二遊間を守っていたお二人が同じメーカーだったとは。アメリカのローリングスのどこが良かったのでしょう。 高木 革が違いました。しっとりしているんです。
山下 革自体は日本のメーカーのほうがずっと良かったんですが、グラブ内の綿にオイルを染み込ませていて、使っているうちにグラブが手に馴染(なじ)んでいくような作り方をしていたらしいです。
高木 日本のメーカーは型崩れしないソファのような革。それに対して、ローリングスの革はソファに座ったらお尻の形状を記憶してくれるような革。柔らかいというか、使っていくとぺらんぺらんになりました。
山下 僕は素手と同じような感触のグラブが好きなんです。よく「親指はしっかりしたい」とグラブの好みを語る選手はいるけれど、僕はふにゃふにゃのグラブが好みだった。地面に置いたら、ぺちゃんこになるようなね(写真下)。
山下氏が10年以上、愛用したローリングス製の内野手用グラブ。非常に使い込まれている
高木 山下さんのローリングスは、折り畳めるんじゃないかってくらい使い込まれていましたよね。ユニフォームのお尻ポケットに入れてましたから(笑)。
山下 口の悪い選手には雑巾なんて言われてね。ほかにも・・・
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