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逆襲のオリックス 叶うべき夢の先へ

変革の旗手 中嶋聡「育成と勝利」の両立へ “ナカジマジック”の神髄「そこに挑戦していくのが、われわれの仕事」

 

託された使命は簡単なことではない。補強に頼らず、生え抜きの育成に舵を切ったチームだが、優勝からは25年間遠ざかり、直近10年でBクラスは9度。低迷打破へ──。「育成と勝利」を掲げ、昨季途中から代行監督として指揮を執った男は、過去に例を見ないわが道を突き進む。
取材・構成=達野淳司(デイリースポーツ) 写真=桜井ひとし


慣習にとらわれない


 25年ぶりの優勝へ向けて熾烈(しれつ)な争いを繰り広げる。2年連続最下位、6年連続Bクラスと、長期低迷していたチームを引き上げたのは、中嶋聡監督の手腕によるところが大きい。現役時代には『サメ』の愛称で親しまれた。庶民にはまったく実感が湧かなかった“アベノミクス”の効果だが、“サメノミクス”は誰もが納得する成果を挙げている。

 2020年8月21日。球団が西村徳文監督に辞任を要請するという異例の監督交代。後任として白羽の矢を立てられたのは、中嶋二軍監督だった。育成と勝利という究極の目標を掲げられても動じることはなかった。

「そこに挑戦していくのが、われわれの仕事。どっちも取りに行きたい」

 二軍監督として見ている中で、持てる力を出し切れていない選手がたくさんいると感じていた。その一人が杉本裕太郎だった。

 監督代行を命じられたその日、二軍の施設がある大阪・舞洲で杉本を見つけると「一緒に行くぞ」と声を掛け、京セラドームに向かった。そして起用した。前政権ならば守備に不安があるという理由から2打席で交代させられ、守備固めを送られることもざらだったが、試合の最後まで使い切った。打席を重ねるごとに自信をつけ、課題だった確実性がアップ。結果、いまやパ・リーグ三冠王すら射程に入る強打者へと覚醒を遂げている。

 監督代行として67試合で29勝35敗3分け。勝率.453と、5割に乗せることはできなかったが、それまでの勝率.327から同じ戦力で勝率1割以上を上げてみせた。

 中嶋監督による改革はオフに入るとすぐに始まった。正式に監督に就任すると、スタッフは小林宏二軍監督を除き、一、二軍の肩書を撤廃。そこには・・・

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