出会ったのは13歳。中学時代に在籍した貝塚ヤングでは全国優勝を遂げ、2人は市和歌山高へ進学した。コンビを組んだ6年を経て、プロの世界へ挑戦する。プレートから本塁まで18.44mで築かれた信頼関係は絶大。過去、現在、将来を語り合った。 取材・文=沢井史 写真=毛受亮介 昨秋はエース・小園[左]と主将で四番・捕手の松川[右]を軸に近畿大会4強進出で、今春のセンバツでは初戦突破を遂げた。春夏連続甲子園出場を逃したあとは、次のステージへ向けて練習を継続している
高校3年間、汗を流した市和歌山高には多くの思い出が詰まっている。甲子園での「日本一」を目標に、一途に白球を追った152キロ右腕と強肩強打捕手。終始リラックスムードで、取材は進んでいった。 ――ドラフトも間近に迫りました。
松川 高校からプロへ行くのは、ずっと変わらない目標です。プロ志望届は8月30日に提出しましたが、ドラフトという実感は、まだないです。
小園 自分は高校からプロ、というのは昨年までは考えられなかった。プロに行くなら、大学で経験を積んで……と考えていました。実は東京六大学でプレーするのが夢でした。大学野球と言えば、やっぱり神宮です。でも昨秋、近畿大会など多くの場数を踏ませていただく中で、プロを目指そう、と。ドラフト当日はどうなるのか、少しドキドキしますね。
松川 健太は間違いなく1位で指名されると思うので、自分はどうなるのか……。指名を待つだけです。
小園 プロに行くためには、体をつくっておかないといけないですし、ブルペンにも時々入って、ボールの質、フォームは常に確認しています。
松川 自分も毎日、バットを振っています。プロ志望届を提出した高校生には好捕手が多いので、負けられない気持ちが強いです。夏の甲子園では同じ近畿勢の京都国際高・中川(
中川勇斗)君の活躍は気になりました。自分もしっかりと準備をしています。
小園 全国には好投手もたくさんいますね。智弁和歌山高が夏の甲子園で優勝し、エースの中西(
中西聖輝、プロ志望届未提出)君も成長していましたし、自分はまだまだやな、と。
突然訪れた初コンビ
中学時代に在籍した貝塚ヤングでは、3年夏に全国優勝。小園[左]と松川[右]は当時から息の合ったバッテリーだった[写真=家族提供]
――初めて顔を合わせたのは?
小園 中学1年時、自分はすでにチーム(貝塚ヤング)に入っていたのですが、4月に虎生が体験入部に来たときです。そのときの第一印象は、いかついというか、体が大きくて、すごく威圧感がありました。でも、実際に話したら、すごくユーモア。あのころ、虎生の声がすごく高くて、見かけとはギャップがありました。
松川 健太は中学1年のころ、目つきがすごく、怖かったんです(苦笑)。自分とも話してはくれましたけれど、結構、すましてたというか『もうええわ!』みたいな感じで……。いろいろ、話したい思いがあったので、こちらからガンガン行っていました。
──練習での接点はありましたか。
小園 シートノックで、サードに入ることがあったんです。でも、虎生は最初にエラーをする。意図的か、とかと思うくらいボールが手についていなかったので、それは謎でした。
松川 覚えています。でも、わざとではないです。単純に技術不足で、捕球できなかっただけです(苦笑)。
──入団当時、松川選手は捕手ではなく、三塁を守っていたのですね。
松川 その直後から、本格的にキャッチャーに転向しました。健太はあのころから、コントロールが良かったですね。実は、初めてボールを受けたのは、試合だったんです。
小園 僕は1年時、先発ではなく、リリーフで投げる機会が多かったのですが・・・
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