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惜別球人 彼らの勇姿を忘れない

ヤクルト・雄平 いつまでも、野球少年

 

打って、走って、守って――。フルスイングに全力疾走。いつも懸命なプレーを見せてくれた雄平は、多くのファンの心を動かしてきた。そのプレースタイルは、「野球が好きだから」という思いゆえだ。そんな永遠の野球少年が、ついにユニフォームを脱ぐ。

引退会見で、涙は見せなかった。笑顔で花束を受け取る


 ヤクルトの優勝マジック1で迎えた2015年10月2日の阪神戦(神宮)。1対1の同点、延長11回裏二死一、三塁。バッターボックスに立つのは、六番・雄平だ。カウント2ボール1ストライクから、能見篤史の投じた142キロのストレートを弾き返した。打球は右翼線へ。雄平は拳を天に突き上げ、ベンチからチームメートが飛び出してくる。三塁走者の川端慎吾がホームインし、サヨナラ勝ちで、01年以来14年ぶり7度目の優勝を決めた。

 今年9月29日、現役引退を発表した雄平は、19年間のプロ野球生活の中で、最も印象に残っている試合に、このV決定試合を挙げた。この年、不動のレギュラーとして優勝に貢献した雄平だが、03年にドラフト1位で入団した当時は投手。09年オフに野手転向を決めてから、不断の努力を続けてきた。レギュラーを手中に収めたのは、野手転向5年目、14年のことだった。

 東北高時代の雄平は、150キロを超える直球を投げ込む左腕として注目を浴びた。ドラフトでは、2球団競合の1位指名。ヤクルト入団後はルーキーイヤーから5勝を挙げるなど期待されたが、以降は結果が出ずに苦しんだ。結局、1年目に挙げた5勝が、投手としてはキャリアハイの数字となった。

 09年の秋、当時の猿渡寛茂二軍監督から、野手転向を持ち掛けられた。投手として結果が出ないことに悩んでいた雄平は、みやざきフェニックス・リーグに、野手として出場することを決意する。投手から打者に転向することは、相当な覚悟が必要だったはずだ。だが、雄平は・・・

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