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立浪ドラゴンズ 強竜復活へ始動

立浪和義、ドラゴンズを変える男 新監督が目指すものとは──

 

引退から12年、満を持しての監督就任だった。彼はなぜドラゴンズファンに愛されたのか。そしてドラゴンズをどう変えていくのか。
構成=井口英規、写真=宮原和也、BBM

秋季キャンプでは自ら選手たちに打撃指導もしている


信念を貫く


 10月29日、監督就任会見──。

「不安を持ってはやりません。別に自信があるわけでもないですけどね」

 壇上での会見のあと、新聞記者に囲まれ、そう言っていた。後日、意味を尋ねると、「自信がないとは言ってないと思いますよ」と、まずは禅問答のような答えを返し、「自分がこうやってやろうということには信念を持っています。結果がうまくいく、いかないはあると思いますけど、しっかりその信念を貫いてやっていきたいという意味で話しました」と言った。結果から逃げることはしない。自分ができることを全力を尽くしやるだけ──ということだろう。

 連載コラムを担当し、4年ほど経ったが、「立浪和義」という男は変わらない。適度な距離感を持ち、いつも礼儀正しく接してくれる。コラムの視点もまた、冷静に状況を俯瞰したものだった。例外はバッティングについて話をするときだ。口調は穏やかなのだが、言葉が自然と熱を帯びる。本人は覚えていないかもしれないが、東京ドームの関係者食堂で突然立ち上がって身振り手振りで説明をし出したこともあった(日本ハム清宮幸太郎のバッティングについてだった)。繰り返すのは基本だ。ゆったりとした間をつくり、自分のポイントまで引き寄せ、軸回転で強く打ち返す──。いろいろなバッターについての話を聞いたが、すべて根底は同じだった。

「私はプロ野球選手として体は決して大きくなかった。理にかなった打ち方でないと強い打球を返せなかったのもありますが、いろいろやってきた中で、これだというのはつかんでいるつもりです」

 PL学園高では、野村弘樹(横浜)、橋本清(巨人ほか)、さらに今回二軍監督となった片岡篤史(日本ハムほか)が同級生だった。2年先輩には、桑田真澄(巨人ほか)、清原和博(西武ほか)、1年後輩には宮本慎也(ヤクルト)がいた黄金時代だ。三番・ショート、さらに主将として甲子園春夏連覇を成し遂げ、1988年、ドラフト1位で中日入団。星野仙一監督の1期目2年目だ。

「当時、星野さんも39歳ですからね。よくこれだけ怒れるな、というくらい怒っていました(笑)。ただ、最初に厳しい指導者の下でできたことは、財産となりましたし、結果的に長く現役でできたと思います」

 当時のショートには・・・

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