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歴代背番号大百科 ─[特別企画]─ 番号別で見る、込められた選手の思いと傾向

歴代背番号大百科 NUMBER「#12」「#13」

 

ここでは背番号順に歴代の名選手を紹介し、選手たちがその番号に込めた思い、球団を越えて共通する特徴、傾向などを探っていきたい。
※名前下の球団は、その背番号の着用と関係なく、現役時代に所属したNPB、MLB球団[外国人選手の来日前後は除く。監督と表記のあるものは監督時代のみ]。着用年数はその背番号を着けた年数[コーチ、監督時代含む。引退試合は除く]。名前とポジションは主なもの。また1950年代までの球団名についてはスペースの都合上一部省略

(左)広瀬叔功「#12」[南海/外野手] 着用1961-79
(右)岩瀬仁紀「#13」[中日/投手] 着用1999-2018


「#12」盗塁王経験の韋駄天が多数 捕手番号としても定着


 盗塁王が数多くそろう。代表格は通算596盗塁の南海(現ソフトバンク)・広瀬叔功。監督時代の初めの2年間も含め、通算で19年は最長となる。広瀬は1960年までは57を着けていたが、12に変更した61年から5年連続で盗塁王のタイトルを獲得。64年には史上初となる首位打者とのダブル受賞も達成した。

 62年には中日の河野旭輝が同じく12番を着け、盗塁王を獲得。セ・パで12の盗塁王が誕生したことになる。ほかにも58、59年に2年連続で中日・岡嶋博治、さらにのち7となるが、66、67年には巨人柴田勲が12番で盗塁王に。柴田は入団時、投手だった。ほか巨人では韋駄天・鈴木尚広も12を着けている。

 捕手が多いのも12の特徴だ。広島田中尊は広瀬に次ぐ通算16年着けていた。西鉄・稲尾和久との黄金バッテリーで知られた和田博実ロッテ村田兆治を女房役として支えた袴田英利はともに13年この番号を背負った。阪神でも戦前は、のち監督にもなる田中義雄が長く着け、中継ぎエースの福間納が着けた時期もあったが、今は捕手・坂本誠志郎の背中にある。

 また・・・

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