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ユニフォーム物語2022

百花繚乱! 12球団歴代ユニフォーム事情【近鉄編】

 

球団草創期は縦縞の時代も経験した。岡本太郎氏がデザインした「猛牛マーク」とともにユニフォームも進化。両袖が赤いおなじみのデザインとなったのが74年で、90年代後半まで使用された。
[球団史]近鉄パールス(1949〜1958) - 近鉄バファロー(1959〜61) - 近鉄バファローズ(1962〜98) - 大阪近鉄バファローズ(1999〜2004)

歴代ユニフォームこだわりセレクション 赤の猛牛軍団が定着したのは70年代


斬新だった三色帽

[右]1950-53 HOME 芥田武夫●近鉄沿線の名産品・真珠にちなんで、球団の初代ニックネームは「Pearls」に。縦縞のユニフォームの左胸部分にあしらわれた

[中]1957 VISITOR 五島道信●ビジター用はグレー地のオーソドックスなもので、帽子のマークには近鉄のKやパールスのP。胸文字はSのない「KINTETU」だった

[左]1958 HOME 小玉明利●このシーズンは29勝97敗4分という散々な成績。赤のアンダーシャツが不評で、シーズン途中からは前年のユニフォームが併用された


 球団創設当初のニックネームは「パールス」だった。近鉄沿線・伊勢志摩の名産品である真珠がモチーフだったが、力強さが感じられない。実際に1958年には29勝97敗4分という大惨敗を喫してしまう。この年から大幅なデザイン変更で採用されたのが、白地の紺の縦縞と、胸マークや背番号、帽子の庇からアンダーシャツ、ストッキングまで鮮やかな赤。派手過ぎて選手の評判は芳しくなかった。

 59年、巨人の二軍監督だった千葉茂氏の就任が決まると・・・

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