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注目選手クローズアップ【高校生編】

山田陽翔(近江高・投手) 甲子園を味方にした準優勝投手

 

センバツで力投する姿に心を打たれた。惜しくも優勝は逃したが、代替出場の主将兼エースは、甲子園に足跡を残した。目標は夏の全国制覇と、プロ入りだ。
取材・文=沢井史 写真=宮原和也

昨夏の甲子園4強、今春は準優勝。夏の目標は一つしかない。投打二刀流での活躍を誓う


 3月17日から31日まで、近江高は激動の2週間を過ごした。「最初にセンバツに出られることを聞いたとき、出場できるどうこうよりもまず、何があったんやろうって思いました。素直には喜べなかったですし、どう受け止めたらいいのか……」。

 新型コロナウイルスの影響で、京都国際高が開幕前日(17日)に出場辞退。近畿地区補欠1位校である近江高の繰り上げ出場が決まった。「もしものことを考えて準備はしていました」と明かすが、実際の調整は難しかった。長崎日大高との1回戦は大会第2日(20日)。急ピッチで仕上げ、延長13回、自らのバットで決勝点を挙げた。投げては、165球の熱投を見せた。ハイライトは浦和学院高との準決勝だ。5回、左足に死球を受けたが、痛みを押して続投し、6回以降は失点を許さない。この粘投が11回裏、バッテリーを組む大橋大翔のサヨナラ本塁打につながった。準決勝まで4試合連続完投勝利。大阪桐蔭高との決勝で力尽きたものの、5試合で594球。準優勝投手・山田の魂の投球に、心を揺さぶられた者は多かったはず。昨夏の甲子園は4強。頂点に上り詰めることはできなかったが主将、エース、四番と3つの肩書を持つ山田は強烈なインパクトを残した。

第100回記念大会決勝の記憶


 3歳上の兄・優太さん(日体大3年)の背中を追い、小学1年で野球を始めた。「子どものころは兄がずっと目標でした。自分よりも年上だからというのはありますが、バッティングもボールの速さも、兄にまったく追いつけなかったです。でも、兄を超えたら親から認められると思っていました」。些細(ささい)なことでも兄に勝負を挑み、負けず嫌いな部分を見せた。身近な存在を追い掛けながら、技術を磨いてきた。

 優太さんは大阪桐蔭高に進学。当時2年生で2018年夏の甲子園は、金足農高との決勝の応援にも駆け付けた。実は山田自身、中学時代は大阪桐蔭高のすごさをあまり知らず、甲子園にもそれほど大きな関心はなかったという。しかし、第100回記念大会の決勝を見て、思いが変わった。プロ野球選手になることだけを夢見てきたが「甲子園に行きたい!」とあこがれが膨らんだ。

 中学1年、3年とボーイズの日本代表でプレー。大阪桐蔭高からも声が掛かるほど、投打で高いポテンシャルを発揮していた。進路を考えた当初は、1992年夏の甲子園で正捕手として4強に進出した父・斉さんの母校・東邦高に気持ちが傾いていたという。同時に地元・滋賀で野球を続けたい思いも芽生え、悩んだ末に近江高への進学を決めている。

 近江高では1年夏の独自大会でベンチ入りを果たした。光泉カトリック高との初戦(2回戦)で、熱中症で降板した先輩投手を好救援したうえ、自ら決勝打を放って鮮烈な高校野球デビュー。だが、ここから試練の日々が続く。1年秋の県大会決勝ではサヨナラ打を浴び、神戸国際大付高との近畿大会1回戦でも逆転打を浴び敗退。そして2年春、立命館守山高との3回戦でも逆転負けを喫し、夏のシード権を失っている。

「1年生の秋は背番号1を着けさせてもらっていましたが、自分が何でも率先してやる気持ちが薄れていました。ただ投げているだけというか、自分は1年生だから、2年生になっても2年生だからと・・・

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