来日時、大きな話題を呼びながらまったく活躍できなかった選手がいれば、ほとんど期待していなかったのに、いきなりチームの主力となって大活躍をした選手もいる。歴代助っ人の中から(いろいろな意味で)チームを変えた衝撃の男たちを紹介しつつ、日本で成功する要因を考えてみる。 自分は転校生
「自分は少し遠い学校にやってきた転校生。早く新しい学校に慣れて自分を覚えてもらうことを考えました」
これは阪神、ヤクルトでプレーした
オマリーの言葉である。1991年、阪神入団1年目から打率.307をマークした“優良新助っ人”に、現役引退後、日本球界に適応するための秘訣を尋ねた際の返事だ。
さらにオマリーは「来日してから2カ月。キャンプとオープン戦が重要だった」と振り返る。日本とアメリカの野球の違いだけでなく、日本語、生活習慣、文化と日本をより理解しようと努めたことで順調に過ごすことができ、その先、長く活躍できたことにつながったという。
顔が似ているからとスーパー・マリオとも言われ、1年目の86年から打率.322、27本塁打、105打点をマークした大洋(現
DeNA)の人気者・
ポンセもまた、「日本で成功するには・・・
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