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COVER INTERVIEW 夏制覇の原動力

斎藤佑樹が語る 打倒・日大三に燃えた1年「ここを倒さないとダメなんだって」

 

カベを超えずして栄光はなかった。2006年夏、駒大苫小牧高との決勝再試合を制し、甲子園を制覇した早実のエース右腕は、西東京大会決勝でも熱戦を展開。あれから16年──。夢への挑戦の前に立ちはだかった西東京の“好敵手”への思いを明かす。
取材・構成=鶴田成秀 写真=BBM

都大会のメーン会場である神宮球場で腕を振る早実・斎藤佑樹。夢への挑戦は、ここから始まった


夢を叶えるため


──現役を引退して初めて迎える夏。朝日新聞社の公式ウェブサイト『バーチャル高校野球』でも全国各校を取材されていますが、自身の高校時代を思い出すことも多いのではないですか。

斎藤 思い出しますよね。いろんな高校を取材させていただいている中で、自分自身の現役時代と比べることもあって。自分の野球人生といったら大げさですけど、自分自身のストーリーを思い返すことがあるんです。夏が来て、地方大会も始まって。思い返すことは多いです。

──斎藤佑樹の名を全国に轟かせたのが早実3年夏の甲子園優勝ですが、それは当然『地方大会』を勝ち抜いての栄冠でもあります。

斎藤 僕たちの夏は西東京大会で、3年生のときの都立昭和高校との初戦が思い出深いんですよね。3対2で勝ったんですが苦戦して。最終的に甲子園で優勝した夏の中でも、最初の試合をよく覚えているんですよ。あれって何なんでしょうね? 緊張感って言うのかな……、夏の独特の雰囲気があって。慢心はまったくなかったですが、あの年のセンバツに出ていたので西東京大会は『絶対に優勝しないといけない』というプレッシャーみたいなものも感じていましたし。あの雰囲気って、本当に何なんだろう……。思い返しても答えは分からないんですよね。

──斎藤さんの最初の夏は1年時で背番号18を着けてベンチ入りと、3度の夏を経験していますが、その中でも最後の夏は感じるものが違った、と。

斎藤 1年のときは初めてベンチに入らせてもらったのもあって、何もイメージがなかったまま大会に挑んだんです。とにかく試合に出たいと思っていて、早くチームの一員として結果を出したいという思いがすごく強くて。いつ自分に出番がくるのかなと思って準備をしてたんですが、登板することなく終わってしまいました(4回戦敗退)。

──その1年後の2年時はエースナンバーを着けて夏を迎え、立場も大きく変わりましたが“責任感”が芽生えたのも、このころからでしょうか。

斎藤 1年秋の大会で投げさせてもらって・・・

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