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チアリーダーのすべて 球場を彩る女神たち

<OGが語る 本場を知るプロフェッショナル>柳下容子(元NFL&NBAチアリーダー) 笑顔でお客さんを引っ張って、楽しんで応援する空気をつくりながら、選手を後押しするのが「チアリーダー」

 

NFLとNBAの両方でチアリーダーとして活躍した唯一の日本人。本場アメリカを知るプロフェッショナルが考える「チアリーダー」のあり方と存在意義、そして、その目に映る日本プロ野球のチアリーダーたちの輝きとは。
取材・構成=杉浦多夢 写真=本人提供、Getty Images

今年のNFLプロボウル[オールスター]で各チームのチアが集結。本場アメリカにおけるチアを含めた「スポーツの存在」はとてつもなく大きい[写真=Getty Images]


スポーツの存在の大きさ


 シンプルに言ってしまえば、私はチアリーダーになる運命だったと思います。そこまでに25年かかってしまいましたが(笑)。小学生のころから運動が大好きで、運動会でも応援団をやるような子どもでした。ダンスをすることが大好きで、体育の先生になりたくて体育大学に入り、チアリーディング部の新入生歓迎のパフォーマンスを見たのが最初の出合いです。私も「トップ(一番上に乗るポジション)になりたい!」と思って入部しましたが、体調を崩してしまったこともあって2、3カ月でやめることになってしまいました。苦い思い出です。

 やはり踊ることが好きだったので、それからダンス部に所属し、卒業後はエンターテイナーとして活動していましたが、「もっと『自分の世界』で人の笑顔と元気をつくりたい」と思い、あらためてダンスに向き合っていきました。アーティストのバックダンサーの仕事をもらうなど、少しずつ腕を磨いていたのですが、25歳のときにアルビレックス新潟の「アルビレックスチアリーダーズ」の初代メンバーとしてチアの世界に飛び込むことになりました。

 アルビレックスでチームディレクターを務めていたのが、アメリカンフットボールのカウボーイズで日本人初のNFLチアリーダーの1人となった三田智子さんでした。入って2年目の冬に三田さんから「NFLのチアのオーディションが日本であるから受けてみない」と言われたんです。三田さんには何でも笑顔で「はい!」と答えることをモットーにしていたので(笑)、最初は「無理だな」と思っていたのですが、オーディションに参加して、チャージャーズのチアチームの一員になることができました。苦しいときこそ笑顔、笑顔が前に進む原動力になるというのは、チアの心得ですね。

 本場アメリカでチアを経験して感じたのは・・・

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