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グラブを語り尽くす 名手こだわりの逸品

<伝説の名手が語るグラブ論>川相昌弘(元巨人-中日/内野手)「守備が特長だった僕にとっては、まさに『商売道具』だった」

 

ここからは2人の「伝説の名手」が語るグラブへのこだわりと愛情を紹介していこう。まずは1980年代後半から90年代にかけ、名遊撃手として巨人を支えた川相昌弘氏だ。
取材・構成=杉浦多夢 写真=BBM


使ってみなければいい悪いは分からない


 レギュラーポジションを手に入れたと言えるのは高卒7年目の1989年シーズン。本当の意味でのグラブへのこだわりが生まれていったのは、そこからだ。「自分は守備が特長の選手。守備で飯を食っていかなければならない」という思いが、守備への意識、それを支えるグラブへのこだわりを強めていった。

 プロに入って本当の意味でグラブへのこだわりが生まれていったのは、しばらく時間が経ってからでした。巨人に入ったとき、横浜高出身の安西健二さんというセカンドの方がいらっしゃって、僕が1年目のオフに退団されるときグラブを一ついただき、それを使ったりもしていました。一軍に行くようになってからは原さん(原辰徳、現監督)や篠塚さん(篠塚和典)のグラブを見させてもらったりしましたが、そのころは何が本当に良いグラブなのかどうか、まだよく分かっていませんでしたね。

 最初の数年間はミズノさん以外のグラブも使ったりしていましたが、本当にグラブへのこだわりが強くなり、ミズノさんに固定して自分から細かい注文を出すようになったのはプロ入りから7、8年経ってレギュラーをつかむようになってからです。自分は守備が特長の選手で、それで飯を食っていかないといけないという思いが強くなっていくとともに、グラブへのこだわりというか、大切にしようという気持ちも強くなっていきました。

 当時のグラブというのは今と違って、キャンプでもらうときは本当にカチカチなんです。すぐに使えと言われても正直、全然ボールが捕れない(笑)。だから僕は、基本的に1年以上は家で寝かせていました。時々、油を塗ったり、ちょっとはめてみたりはしますが、ずっと家に置いておく。シーズンが終わって秋になったら引っ張り出してきて、キャッチボールや練習で使ったりしながら、感覚が良ければゲーム用にしていこうか、となる。

 毎年、いくつかグラブをいただくのですが・・・

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