ここからは今後が楽しみな、伸び盛りの“ネクストブレーカーズ”を紹介しよう。2021年秋のドラフト、「世代最速157キロ」というフレーズで注目を集めた右腕のインタビューから。プロ1年目はケガに悩まされ、一、二軍登板ゼロ。課題も多いが、根底には変わらない思いもある。「速い球を投げたい」「一番速いってうれしい」。いつかまた、そのスピードで見る者を魅了する。 取材・構成=菅原梨恵 写真=湯浅芳昭、BBM 野球人生で一番
2021年7月、高校最後の夏を迎えた風間球打は、秋田大会の準々決勝・秋田高戦で157キロをマークした。見る者の度肝を抜いた快速球。その瞬間、「世代最速157キロ」は右腕の代名詞となった。ドラフト1位入団へとつながる高校3年間の進化の跡は、球速表示とともに――。今もなお、あのころの感覚は、右腕にとっては特別だ。 ――風間投手が球速を意識したのはいつごろからですか。
風間 中学生ぐらいからですかね。内野も外野も、いろいろなポジションをやっていたんですけど、ピッチャーのときは純粋に「速い球を投げたい」と思っていました。やっぱりチームの中で一番速いって、うれしいじゃないですか。それをずっと思っていましたね。
――明桜高入学時の最速は135キロでしたが、当時から3年間で『150キロ』を目標に。なぜこのような目標を立てたのでしょう。
風間 地元・山梨から秋田の高校に進学したんですが、自分が入学する前の夏に
吉田輝星さん(当時・金足農高、現・
日本ハム)が甲子園ですごい旋風を巻き起こしていた。そのときに吉田さんが秋田のスピードガンで最速を計測したのが150キロだったんです。だから、まずはそこに並んで、いつか越えたいなと思って。
――そのために入学後、具体的に取り組んできたことは?
風間 中学まではウエート・トレーニングとかシャドーピッチングもそんなにはやってこなかったんですけど、入学してから力を入れるようになりましたし、あとは走り込みとか。シャドーピッチングに関しては、木の棒みたいなピッチング練習器具を使ったりして。特に冬の時期は精力的に振り込んでいたこともあって、そこから一気にレベルアップした感じはありましたね。
――球速自体も順調に伸びていったのでしょうか。
風間 2年の春に1度、急に伸びた時期があって。1年の秋に141キロが出ていたんですけど、練習の中で思いっ切り投げるようになったら、投げるたびに球速が上がっていって、最終的には147キロまで伸びました。そこから夏の大会で150キロに到達。このころが一番球速が伸びたんで、自分でもビックリしましたね。
――一気に目標としていた150キロを達成したんですね。
風間 夏の大会は抑えだったんですよ。先輩にいいピッチャーが3人くらいいたので、抑えをすることが多くて。なので、自分の登板に備えてブルペンで調整することも多かったんですけど・・・
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