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2023球場物語 ボールパークの進化と郷愁

<OBインタビュー>荒木大輔(元ヤクルトほか) 「神宮の“トンネル”はスイッチが入る場所。後楽園のマウンドは投げやすかった」

 

1980年代、90年代前半に活躍した右腕。本拠地の神宮が主戦場だったが、実は投げにくかったという。横浜スタジアムや広島市民でも成績が振るわなかったのはある理由があった。
取材・構成=小林光男 写真=BBM

1992年、ケガから復帰した際の神宮での登板は忘れられないという


復帰登板での盛り上がり


 一番印象に残っている球場は、やはり神宮になりますね。リトルリーグのころから、神宮で投げていますから(笑)。プロ初登板も神宮でしたが、“自分の庭”みたいな感じはありましたね。ただ、大学野球と併用の球場ですから。当時は試合開始時間も流動的だったんです。大学野球の試合が長引きそうだったら、例えば練習中に「今日は18時20分、試合開始です!」と。練習も本球場ではなく、軟式のコブシ球場で行っていましたから、慣れれば問題ありませんが、最初のころはなかなか試合モードにならなかったですね。

 それと、申し訳ないですけど、そんなに投げやすいマウンドではありませんでした。大学野球のシーズンでは、ナイター前に大学生が使用して、マウンドの土が掘れているような感じだったり……。当時は傾斜もなだらかだったんですよね。極端な話、キャッチャー目線だとマウンドが見えない。それほど、山がないんですよね。

 甲子園も似たようなマウンドで投げにくかった。でも、甲子園はバックネットまでの距離がすごくあり、キャッチャーがすぐそこにいてくれる感覚になるんです。それは良かったですね。そのあたり、神宮は逆。それと・・・

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