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昭和ラスト9年間のプロ野球 激動と波乱の記憶

【パンチ佐藤が振り返る「昭和の野球」】Part.3『乱闘』 「ぶつけろ!」とベンチからの指示

 

プロ野球のリーグ戦が始まったのは昭和9年(1936年)だが、ここでは現役最年長選手の石川雅規(ヤクルト)が生まれた昭和55年(1980年)から9年間の「昭和のプロ野球」を振り返ってみる。その年に球界では何が起こり、日本はどんな時代だったのか。OBのパンチ佐藤さんには「昭和の野球」について語ってもらった。

1987年6月11日、熊本・藤崎台球場で中日宮下昌己巨人クロマティに死球を当て、乱闘に


 昭和のプロ野球は、監督よりも偉い選手がいました。村田兆治さん(ロッテ)が交代を命じられても拒否したり、山田久志さん(阪急)は「落合博満(ロッテ)にカーブを投げてくれ」と言われても「俺はストレートで勝負するんだ」と拒否したり。お客さんもそういう選手同士のぶつかり合いを楽しんで見ていたところがありました。門田博光さん(南海ほか)が言っていたのは、「最近のファンは球場にスコアボードを見に来ている」。深いですね。打率、球速などの数字を確認するために球場に来ていると。ボールの回転数なんてどうでもいいじゃないですか(笑)。昭和の野球ファンは「巨人が負けても、長嶋さんを見られたからいいや」って満足していたわけですよ。

 最近の野球は・・・

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