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2023ドラフト特集 注目プレーヤーCLOSE UP【大学生編】

常廣羽也斗(青学大)反骨精神の塊「3球種がしっかりコントロールできれば絶対、大丈夫です」

 

大分県屈指の県立進学校出身。高校時代の実績は、皆無に近い。指定校推薦で大学の門をたたき、野球部に入部。今年6月、18年ぶりの大学日本一へ導き、名門復活の立役者の一人となった。ノンキャリアから神宮で飛躍したのは、明確な理由がある。
取材・文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎

青学大の活動拠点であるグラウンドと合宿所は相模原キャンパス内にある。合宿所の収容人数の兼ね合いで部員約50人の少数精鋭で運営。細かい部分にまで目の行き届いた熱血指導が、成長を後押しする


 取材開始は朝7時30分だった。野球部の活動拠点は、神奈川県内の相模原キャンパス内。7時過ぎから全員で朝食を取り、全体練習に備える。常廣羽也斗は青学大でも特に卒業単位の取得が厳しいと言われる、法学部在籍。8時30分には練習を切り上げ、11時からの2限に出席するため、東京都内の青山キャンパスへ移動する。

「授業の難易度? めちゃくちゃ高いです。何とか頑張っています」

 18年ぶりの日本一を遂げた全日本大学選手権決勝(6月11日)後、チームは約1週間のオフに入った。帰省する部員もいたが、常廣は寮に残った。同17日からは侍ジャパン大学代表候補合宿が控え、同29日には日米大学選手権の国内合宿が始まり、そのまま7月4日に渡米した(全5戦で帰国は同15日)。野球で慌ただしい中でも、時間を見つけては机に向かう。学業を疎かにはしないのだ。

 青学大は1学年8人のスポーツ推薦があるが、常廣はこの枠ではなく、大分舞鶴高から指定校推薦で入学した。同校は大分県内屈指の県立進学校。中学時代にプレーした大分シニアでは三番手投手で、一度も背番号1を着けたことがなかったという。

「中学校ではソコソコ、学業成績は良いほうでした。野球を続けるかは関係なしに、大分で最も大学進学がしやすい学校ということで舞鶴を志望し、一般の推薦で入学したんです」

 野球部では1年夏から背番号18でベンチ入り。明豊高との県大会準決勝では四番手で救援した。「7球、投球練習をして、4球で2本塁打を打たれました」。一死も奪えず降板し、チームは6回コールド負け(3対13)した。3年間で最も甲子園に近づいた夏だった。1年秋から背番号1を着け、2年夏は大分高との1回戦で3失点完投勝利も、2回戦で敗退した。2年秋は1学年下の新名凌馬(国学院大3年)に背番号1を譲り、常廣は9を着けた。県4強に進出した3年春は背番号10で「自分は二番手。ほとんど、投げていないです。当時の舞鶴の投手陣はレベルが高く、後輩の木村駿太朗(九産大3年)、新名と自分の3枚看板。競争相手がいたので、成長できた」。常廣は3年夏にエース番号を再び奪取したものの、県大会2回戦で敗退している。

 一方、授業では入学当初からレベルの高さに戸惑った。常廣は2年時に多くの生徒が希望する国公立大学でなく、私立大学志望へ切り替えた。

「自分が在籍した1組は、指定校推薦狙いのクラス。成績順で取り合いです(苦笑)。2〜8組は国公立大学を受験する頭の良い生徒が集まり、大きく2つに分かれます。関西、九州の大学でいくつかの選択肢があったんですが、東京の東都大学か東京六大学で野球を続けたい思いが芽生えていたので、青学にしました」

 高校3年間で最速は128キロから142キロへアップ。素材の良さは・・・

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