あの夏も試合終盤の大逆転で幕を閉じた。2年夏から甲子園のマウンドに上がるも、同夏から3季連続で夢の舞台の結末は無情なものに。最後の夏も文星芸大付との1回戦で、9回裏に逆転サヨナラ負け。膝から崩れ落ち、グラブを叩きつけて泣きじゃくった悲運のエースは、17年の時を経て『甲子園の魔物』に何を思う──。 取材・構成=小中翔太 写真=BBM 痛打の連続で
甲子園初登板は2年夏の高岡商戦でしたが、あの年は、京都外大西との2回戦ですごい点取られたのは覚えていて。ただ、具体的に、何点差から登板して、何点取られたか覚えていないんです。あのときの記憶が嫌過ぎて、拒絶しているんでしょう。あんなに点取られたのは初めてでしたから。『あ、打たれるんやろな』と思いながら投げていた。飛んだところが悪かったり、どこに投げてもアウトを取れるイメージができなかったです。
負けたときは先輩たちに申し訳ないというのがありました。でも、それをバネに強くなっていかなきゃいけない、新チームでは自分がチームを引っ張っていく、そういう気持ちでした。3年春のセンバツでは光星の坂本(
坂本勇人、現
巨人)や、早実の斎藤(
斎藤佑樹、元
日本ハム)と対戦できた。勝っても負けても、そういう選手たちと優勝を目指して戦ったことがすごく心に残っているんです。でも、実は前年秋の神宮大会が終わってから肩を痛めていて。万全だったら優勝できた、という思いも正直ありました。
復帰したのは、夏の大会の2週間前。最後の夏は・・・
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