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制度開始から30年 FA最新事情

FA宣言全記録(1993〜2022)完全保存版 国内移籍か、海外移籍か、それとも残留か

 

1993年オフに制度が誕生して、今年でちょうど30年。これまで数多くの選手が権利を取得してきたが、FA宣言したすべての選手をあらためて振り返ってみる。
写真=BBM※選手名、球団名は当時

日本球界のFA移籍第1号は松永浩美。前年にトレードで阪神へ移籍。わずか1年でのFA宣言は衝撃だった


球界を激変させた制度


 日本球界にFA制度が導入されたのは、1993年のオフのことだった。プロ野球選手会が選手の権利を主張して初めてFA権を要求したのは87年。球団側は年俸の高騰を招くと拒否し続けてきたが、ついに認めることになった。この年はサッカーのJリーグがスタート。プロ野球の人気独走の時代は終わりつつあり、ドラフトでは社会人、大学出身に限り、1、2位指名選手に球団選択の自由を認める“逆指名制度”が始まった。このFA制度とドラフト逆指名の導入は自ら球団を選べる点でリンクしており、その後の球界を激変させたと言えるだろう。

 注目の初年度、FA制度の資格取得選手は60人だった。その中には引退した選手も含まれており、実際の数は10人ほど少なかったが、平均年齢は34.7歳。そしてその中から5人が宣言した。去就が最も注目されたのは中日に在籍していた落合博満だろう。3度の三冠王も全盛期はとうに過ぎ、中日残留の方向だったが、巨人長嶋茂雄監督から熱烈なラブコールを受けてFA宣言に踏み切り、巨人入りが決まった。

1993年12月で40歳の大台を迎える落合博満[右]の獲得には批判的な声が多かったが、長嶋茂雄監督[左]の要望に応える形で宣言、巨人に入団


 落合加入を見越した駒田徳広も宣言して巨人から横浜に、そして長嶋監督からバラの花束とともに慰留された槙原寛己は・・・

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