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巨大戦力で世界一へ Enjoy the Dodgers

<HISTORY OF DODGERS>名門球団 ドジャースの歩み

 

メジャー屈指の実力と人気を誇るドジャース。その歴史は前身球団を合わせると140年にも及ぶ。大谷翔平山本由伸の加入によって、日本との関わりがさらに深くなった名門チームは、これまでにどのような足跡を残してきたのか。
文=樋口浩一 写真=Getty Images

1988年のワールド・シリーズは、アスレチックスを4勝1敗で下し、7年ぶり6度目の頂点に立った


ワールド・シリーズ優勝 7回
リーグ優勝 24回
地区優勝 21回

人種の壁も乗り越えて


 ドジャースの歴史は長い。前身となる球団は1883年、ニューヨークの不動産業者や実業家によって創設された。場所はマンハッタンからイーストリバーを南へ渡ったブルックリンであった。

 翌84年にアメリカン・アソシエーションに加入。90年からはナショナル・リーグ(以下ナ・リーグ)に移り、ここからドジャースの歴史が本格的にスタートする。

 当初は好成績を収めることができなかった。1903年にアメリカン・リーグ(以下ア・リーグ)の代表とワールド・シリーズを戦うようになったが、同じニューヨークのジャイアンツやピッツバーグのパイレーツ、シカゴのカブスといった強豪の壁は厚かった。初めて駒を進めたのは16年。しかしレッドソックスに敗退した。20年はインディアンス(現ガーディアンズ)に敗れ、次に出場できたのは21年後の41年。このときはヤンキースにまるで歯が立たずに終わった。

 だがこの後、ドジャースは強豪に変わっていく。そのきっかけは42年にブランチ・リッキーが球団社長に就任し、育成の体制を整えたことだった。マイナー・リーグを組織し、そこに黒人選手も招き入れた。その最初の果実がジャッキー・ロビンソンであった。47年4月15日の開幕戦。本拠地のブレーブス戦に二番・一塁で先発出場し、メジャー初の黒人選手となった。

 初めて人種の壁を越えるのは、技量が卓越しているのはもちろんのこと、人格も優れていなければいけないとリッキーは考えていた。そうでなければ、あとに続く者は出てこないと思っていたのだ。ロビンソンと会った際、「あなたは白人に侮辱されたとき、反抗しないような黒人を探しているのか」と聞かれたリッキーは「いや、私が探しているのは・・・

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