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2024背番号STORY 元ドラフト1位が語る背番号メモリアル

荒木大輔(元ヤクルトほか) 高校時代に築かれたイメージ「何の違和感もなく、すんなりと『11』を背負うことができました」

 

早実で5季連続甲子園に出場し、“大ちゃんフィーバー”を巻き起こした荒木大輔氏。83年ドラフト1位でヤクルトに入団したが与えられた背番号は『11』だった。ヤクルトでの13年間はその番号で全う。かつてのドライチが背番号の思い出を語る。
取材・構成=小林光男 写真=BBM

早実1、2年夏は『11』を背負った


前任者が引退してちょうど空いた『11』


 ドラフトで1位指名されてヤクルトへ入団するとき、「何番を着けたい」というこだわりは特にありませんでした。ヤクルト球団から『11』を提示されて、「ありがとうございます」という気持ちだけでした。少し生意気な言い方になりますが、10番台で投手としてはいい背番号だったので誠意を見せてくれたということなのでしょう。

 そう言えば、そのときに球団の方に言われたのは「11番のイメージがある」ということでした。振り返ってみると早実時代、1年夏の都大会では『16』だったのですが、甲子園では『11』に。その背番号で投げて準優勝することができました。1年秋は『7』で左翼を守りながらマウンドにも上がり、2年春のセンバツでは初めて『1』をもらいました。

 でも、なぜか2年夏は『11』だったんですよね。監督の意図は分かりません。当時は理由なんて聞けないですよ(苦笑)。都大会を勝ち抜いて甲子園にも出場しましたが『11』は変わらず、でした。今考えると、もしかしたら「もう一度、しっかりやりなさい」ということだったのでしょう。2年秋からは再び『1』を背負いましたが、5季連続で甲子園に出場できた早実時代の1、2年夏は『11』でマウンドに上がったわけです。どうもそのときのイメージがすごく強かったみたいです。

 ヤクルトで僕が『11』を着ける前は神部年男さんが背負っていました。神部さんは78年オフにトレードで近鉄からヤクルトに加入しましたが、82年限りで現役引退。私が入団したときは二軍コーチとなっていましたが、神部さんがユニフォームを脱がなければ・・・

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