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プロ野球90年特集 伝説のエースたち

<元番記者の回顧録>松坂大輔(西武ほか)自信という名のオーラ「僕は1年目から自分がこの世界で活躍できると思っていました」

 

鳴り物入りでプロの世界に飛び込んだ“平成の怪物”。高卒1年目から16勝を挙げて最多勝を獲得するなど幾多の伝説を築いて球界を代表するエースへと駆け上がっていったが、その予兆はシーズン前からあった。当時の番記者が振り返る怪物覚醒の前夜とは――。
文=楊枝秀基(スポーツライター) 写真=BBM

プロで実戦初登板となった阪神とのオープン戦。わざと得意のスライダーを封印して勝負した


「『ワザと打たれた』と言ってもいいと思います」


 いや、それが本当やったらとんでもないことやんか。ただ、本人がそう言うんだから信じて見守るしかないか。時代は令和6年となった現在からさかのぼること25年。老若男女誰もが知るスーパースター・松坂大輔は3月のオープン戦の期間、他球団の有力ルーキーたちと同様に実力を試されていた。

 世間からは「果たして平成の怪物とはどんなもんなのか」という目が向けられていた。そんな最中、当時のスポーツ紙の記事では明かせなかった発言を松坂は残していた。その自信に満ち満ちた言葉に、番記者として衝撃を受けたことは今でも忘れられない。

 前年の1998年には母校の横浜高を甲子園で春夏連覇に導いた。それも夏の大会で決勝ノーヒットノーランという野球漫画のような結果で、だ。それでも果たしてプロでは通用するのか。大人たちは「高校生がいきなりプロの世界で活躍できるはずがない」などと居酒屋で論戦を繰り広げた。オープン戦の結果が悪ければ悪いほど「これはあくまでオープン戦」という擁護派と「所詮、平成の怪物と言っても高校生」という否定派の意見が交錯した。

 そして、その議論がマックスに達したのが99年3月11日、京都・西京極球場で行われた巨人西武のオープン戦だった。西武の先発としてマウンドに上がったのは松坂。球場は超満員で松井秀喜との初対決には地鳴りのような歓声が沸き起こったことを覚えている。結果は4回を投げ8失点という散々な内容だったのだが、18歳の怪物はこれを何とも思っていなかった。

「うーん、なんて言えばいいんでしょうね。この状況でこんなことを言うと『負け惜しみ』だとか言われちゃうと思うんで・・・

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