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2025バット特集 バット今昔物語

ジュン・イシイと圧縮バットの記憶「圧縮バットは音が違った。石井さんは野球が大好きな人」(谷沢健一)

 

木材に圧縮加工を施したバットを圧縮バットと呼び、かつては多くのプロ野球選手たちが一般的に使用していた。そのバットを世に送り出したのは、野球選手であり、指導者であり、ボール、バット職人でもある石井順一。日本のプロ野球の歴史を語る上でも欠かせない人物だ。
文=上原伸一 写真=BBM

王貞治[元巨人]が使用していた「ジュン・イシイ」製の圧縮バット。ミートポイントに樹脂を漬け込み、浸透させて圧迫し、乾燥。樹脂が木目をつなぎ合わせたバットだ


誰もが愛用したバット


 圧縮バットと聞いてピンと来るのは、おそらく50歳代以上の人だろう。圧縮バットの名を広めたのは世界のホームラン王・王貞治(元巨人、現福岡ソフトバンク会長)である。王は22年の現役生活の大半で圧縮バットを使い、世界記録868本のうち、その多くを圧縮バットで打ったという。

 圧縮バットを使っていたのは王だけでない。1961年ごろから使用禁止になる81年までの間、NPB選手の約7割が圧縮バットを使っていたと言われる。長嶋茂雄(元巨人)、張本勲(元東映ほか)、谷沢健一(元中日)、そして田淵幸一(元阪神ほか)といった一時代を築いたスラッガーたちも使用期間はまちまちながら使用していた。

 使用者はプロだけにとどまらず、アマチュアの世界でも社会人や大学の選手の中には圧縮バットを手にする選手たちがいた。また、海の向こうのMLBでは8度の盗塁王に輝くとともに通算3023安打を記録したルー・ブロック(元カージナルスほか)も使っていた。

 そんな圧縮バットがなぜ使用禁止になったのか? 理由はメーカーが圧縮の進化を競ったがあまり、硬さと反発性が増大し、いつの間にか「飛ぶバット」になってしまったからだろう。

 こうして球界を去ることになったが、圧縮バットを世に送り出した石井順一の目的は飛ぶバットを作ることではなかった。大きな狙いは良質なバット材であるトネリコ(アオダモ)の保護にあった。トネリコはバット材にマッチした硬質な広葉樹で耐久性にも優れる。だが、大きく育つまでには60〜70年の歳月が必要とされるため、戦後間もない時期から希少材となっていたのだ。激減していく一方の貴重なアオダモを未来の野球のために育成していこうと「NPOアオダモ資源育成の会」が設立されたのは2002年のこと。石井はこの半世紀以上前から、良質なバット材が減少していくことに危機感を抱いていたのである。

飛ぶボールの影響


 石井がトネリコに代わる素材として目をつけたのは家具などに使われていた北海道十勝産のヤチダモだった。トネリコと比べると手に入りやすかったのだ。ただ、バット材としては主に軟式用に使われていたヤチダモは・・・

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