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ミスタープロ野球 長嶋茂雄追悼号

<通夜・告別式>長嶋茂雄 天国へ旅立つ背番号『3』 親族、V9戦士、巨人関係者らがミスタージャイアンツに最後の別れ

 

巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんが6月3日、午前6時39分東京都内の病院で肺炎のため亡くなった。89歳だった。戦後のプロ野球を繁栄させた大功労者は、(プロ野球を)国民的スポーツへと押し上げた。7日に通夜、8日に告別式が東京都内で、近親者のみで執り行われ、最後の別れ。背番号『3』は天国へ旅立った。
写真=読売新聞社提供

出棺を前に、長嶋さんのひつぎを運ぶ[左から時計回りに]中畑清さん、原辰徳さん、松井秀喜さん、王貞治さん、高橋由伸さん、堀内恒夫さん、柴田勲さんら


祭壇にはミスターが最も好んだジャイアンツカラーと背番号『3』のユニフォーム


 長嶋さんの棺を乗せた車は6月7日の14時33分、自宅を出発した。15時13分から24分をかけて、本拠地・東京ドーム周辺を通り、16時3分に斎場到着。祭壇は次女・三奈さんの願いでオレンジの花、ジャイアンツカラーで彩られた。背番号3のユニフォーム、天覧試合で本塁打を打った際の使用バット、松井秀喜さんと一緒に授与した国民栄誉賞の金のバット、天皇陛下から直々に授与された文化勲章と勲記が飾られた。

喪主を務めた次女・三奈さんの希望により、祭壇はオレンジの花に彩られ、ジャイアンツカラーに囲まれた。なお、長嶋さんの遺影は2021年10月、文化勲章受章で取材を受けた際の写真である


 近親者のみで執り行われた通夜・告別式の喪主は次女・三奈さん、葬儀委員長は巨人・山口寿一オーナーが務めた。7日の通夜には126人、8日の告別式には96人が参列。親族は長嶋一茂氏ら、巨人関係ではV9のチームメート、監督時代の選手、コーチが参列。なお、通夜には試合を終えた阿部慎之助監督以下、コーチ、選手13人が参列した。「ミスター」との最後の別れを惜しんだ。

長嶋さんの告別式で祭壇に手を合わせる[手前左から]長男・一茂さん、巨人・山口オーナー、喪主で次女・三奈さん


 通夜では2人が、弔辞を読んだ。

「巨人軍のV9は打高投低。ピッチャーのほうが、どちらかというと弱かった。野手のほうが、ほとんどのレギュラーがV9をやったのだと思います。その中の王さん長嶋さん。この二人が、両巨頭が並び立ったおかげで、V9という偉大な成績が残せたんじゃないかなと思います。『巨人軍は永久に不滅です』と長嶋さんはおっしゃいました。長嶋茂雄という名前も不滅です」(堀内恒夫氏)

「常に勝負に厳しく、ファンのことを第一に考えられていた長嶋さん。私をはじめ、今の巨人軍にも確実に長嶋さんの志は受け継がれています。長嶋茂雄は永久に不滅です。ミスター、本当にありがとうございました。これからも大好きな巨人軍を温かく見守ってください」(原辰徳氏)

 告別式では、3人が弔辞を読んだ。

「あなたは、日本の健康優良児でした。存在そのものが、日本人の誇りでした。グラウンドでは、一挙手一投足が、日本中のファンの心を惹きつけました。日本中があなたを追いかけました。大変だったと思いますが、あなたは嫌な顔一つせず、常に明るく存在していました。太陽のように光を放っていました。本当に特別な存在でした。あなたとの六十有余年、私にとっては忘れることのできない貴重な年月でした。感謝するしかありません。89年間、よくぞ頑張ってくれました。日本人のために頑張ってくれました。ありがとうございました。安らかにお眠りいただくことを、願うのみです。『長島茂雄』に戻ってゆっくりとお眠りください。さようなら」(王貞治氏)

告別式で弔辞を述べる王氏。現役時代は「ON砲」としてV9を支えた


「ミスターのすごさ、いろいろあります。そんな中で、私の中で忘れられないのは、ミスターは万人に対し、誰にでも対し、心優しい笑顔を見せながら対応する、言葉をかける。あの姿。私は謙虚に、ビッグになればなるほど謙虚に生きろよ、ということを教わったような気がします。それを手本に、これからも頑張っていこうと思います」(中畑清氏)

「監督、今日は素振りないですよね? その目を見ていると、『バット持ってこい。今からやるぞ』と言われそうでドキッとします。でも、今はその声を聞きたいです。ドラフト会議で私を引き当ててくださり、満面の笑みで親指を突き上げてくれました。タイガースファンだった私は、心の中でちょっとズッコケました。しかし、その後、すぐに電話で『松井君、待っているよ』と言ってくださり、あっという間に私の心は晴れました。監督はひとたびユニフォームを着てグラウンドに出ると、強烈な光を発し、私と2人で素振りをするときは、バットマン長嶋茂雄になりました。それが私の日常でした。

 監督が引退された年に生まれた私は、監督の現役時代をともに過ごした方々と、同じ気持ちになりたくてもなることはできません。その時代を生きていません。ですが逆に、私はその、野球の神様、長嶋茂雄というものを、肌で感じていないからこそ、普段、普通の自分自身で接することができました。それが私にとって、非常に幸運だったと思っております。日本に帰ってくるたび、監督にご挨拶に行くと、監督の言いたそうなことを、言おうとするのに言わない。でも、その気持ちはいつも受け取っておりました。これからも監督が、なぜ私だったのか、なぜ私にたくさんのことを授けてくださったのか。その意味を、その答えを、自分自身が心の中で、監督に問い続けます。今度は、私が監督を逃がしません。ですから、今日は『ありがとうございました』も『さようなら』も、私は言いません。今後も引き続き、よろしくお願いします。そして、その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください」(松井秀喜氏)

愛弟子である松井氏は、長嶋さんから授けられた教えを胸に生きていく


 今年は、昭和元年から数え100年目にあたる「昭和100年」。戦後の高度経済成長期に、プロ野球人気を定着させ、国民的スポーツの地位を固めた「ミスター」。昭和の大スターが築いた魂は次世代へと引き継がれ、その功績は燦燦と輝き続ける。

6月7日、長嶋茂雄さんを乗せた車両が、東京ドーム前を通過。24分をかけて本拠地周辺を通った


東京ドームの22ゲート前広場には追悼記帳所が設置された。初日の7日は、開始前から約100人の列ができ、8170人が記帳した。なお、22日までの公式戦開催日に設置される[写真=川口洋邦]

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