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ミスタープロ野球 長嶋茂雄追悼号

<指揮官の肖像/1975年>燃える男・長嶋茂雄の軌跡【監督編】 就任1年目球団史上初の最下位

 

現役引退した1974年11月に監督就任。「育てながら勝つ」と決意を込めて臨むも、現実は厳しかった


 1975年2月「クリーン・ベースボール」をキャッチフレーズに掲げ、39歳の青年監督・長嶋茂雄が宮崎キャンプで始動。3月からは約2週間のベロビーチキャンプを行った。4月8日広島戦(広島)で初勝利を挙げ、「現役時代、ホームランを打ったときでもこんなうれしさはなかった。監督冥利(みょうり)に尽きる」と喜びを語った。

 しかし、主砲・王貞治の故障悪化、エース・堀内恒夫の不調、期待の新外国人デービー・ジョンソンのスランプが重なり、チームプレーが崩壊。5月29日の広島戦(後楽園)では、22敗目を喫し、唯一の5割未到達チームになってしまった。

 負け続ける長嶋巨人であったが・・・

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