
入団1年目のキャンプから手塩にかけて育てた
1992年10月12日。「進むも地獄、退くも地獄」。1980年の退任から、即答で引き受けた2度目の監督就任要請だった。12年の充電期間の末に、再び
巨人のユニフォームに袖を通すことになった。第二次政権。「強い巨人」の復活を託されたのである。
就任早々、人との縁に恵まれた。11月21日のドラフト会議。1位で4球団競合の末、星稜高・
松井秀喜を引き当てたのだ。「交渉権確定」の用紙を確認すると、右手でガッツポーズ。場内を完全に支配する“長嶋劇場”が・・・
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