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阪神優勝物語 歓喜のシーズンをPLAY BACK

<2003 MVP PLAYER INTERVIEW>井川慶インタビュー『8割』『10割』『8割』のイメージ「課題を解消して自分が勝てれば、優勝もあるんじゃないかな、と」

 

前年に14勝を挙げたが課題を感じていた。それを解消しようと臨んだ2003年、イメージどおりにシーズンは進み、ペナントを勝ち取る原動力に。20勝左腕が語る、Vの記憶――。
文=道辻歩(デイリースポーツ) 写真=BBM

エースとして開幕から力投を続けてチームの戦いに安定感をもたらした


得点力が上がった打線


──優勝した2003年は、井川さんにとってどういった1年でしたか。

井川 初めて優勝したシーズンですからね。記憶に残る1年ではありました。

──星野仙一監督の就任2年目でしたが、前年からの流れもあったのでは。

井川 これは野手の方への批判ではないという前提ですが、星野さんが監督をされるまで、つまり01年まではチームとして得点力不足の部分があったな、と。

──確かに得点数を見ると、00年はリーグ最下位の473点。01年もリーグ最下位で467点でした。02年はリーグ5位も527点に。

井川 得点力が上がって、ピッチャーが楽になった部分はありました。絶対に少ない失点で抑えないと、というプレッシャーもなく、勝負できた感じでしたね。

──ただ、02年に選手が大きく入れ替わったわけではなかったですが。

井川 そこはまず一つ、今岡(今岡誠)さんが機能するようになったことがあるでしょうね。桧山(桧山進次郎)さんもすごくいい状態というか、打ち始められたというか。片岡(片岡篤史)さんがFAで日本ハムから来られて、ジョージ・アリアスも入って。あとは星野さんが監督になって、コーチ陣もガラッと変わったことによって、雰囲気も変わったというのがありました。

──02年はチームが4位で、井川さんは14勝9敗1セーブ。その中で、翌年の優勝につながる手応えはありましたか。

井川 それはありましたね。まず僕個人としては14勝しましたが、夏場は失速したというか勝てなかったんです。そこが課題として残ったわけですが、打線が得点してくれるというのがあったので、課題を解消して自分が勝てれば、もう少し上に行けるだろうな、優勝もあるんじゃないかな、と。だから、1年間トータルでやることをオフに考えましたね。

──03年を戦う上で、ピークへの持って行き方を変えたということですか。

井川 イメージとしては開幕に8割、夏場に10割で秋口に8割といった感じでしたね。やっぱり、大事なところは夏場以降で、夏場に強い選手が良いという話は以前からも聞いていたので、夏の2カ月は意識しました。その中で、03年は思ったよりも前半で勝ったんですよね。最初は負けと勝ちが交互でしたが。

──開幕戦では横浜(現DeNA)に敗戦。そこから白星、黒星、白星、黒星と続きましたが、6試合目の登板から12連勝でした。

井川 ここまで勝てるとは思っていなかったです。本当に野手の方が頑張ってくださって・・・

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