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阪神優勝物語 歓喜のシーズンをPLAY BACK

<虎を愛する男 ダンカンの大放談>嗚呼、タイガース! ファンにとっての優勝とは??

 

球団創設90年。それはチームの歴史であるとともに、声援を送り、泣き笑いをともにしてきたファンの歴史でもある。その3分の2に当たる60年間、阪神を見つめてきた虎党。2年ぶりの歓喜の年に、「優勝」への思いの丈を語ってもらった。
取材・構成=小林光男、相原礼以奈 写真=BBM

ダンカン


85年、感動を超えた瞬間


 日本一とかよりも、俺は1985年10月16日、神宮球場での、優勝を決めた試合の印象が一番ありますね。延長10回、最後は中西清起がピッチャーゴロを捕って一塁に送って、そのときにはもう阪神ベンチは盛り上がっていて、捕った瞬間に川藤(川藤幸三)さんたちが、ガーッと飛び出した。あの試合が一番、印象に残っています(5対5で試合終了)。

 当時、まだ河田町にあったフジテレビで、その日はたけし(ビートたけし)さんを中心にやっていたコンサートに向けてタップダンスの稽古をしていました。だけど、俺の頭にはもう、すぐ近くの神宮のことしかない。相当そっちに神経が行っていたので、たけしさんが「お前は!」って。怒られると思ったら、「どうせ阪神のことが気になっているんだろう。それじゃ集中できるわけないから、行ってこいよ」って、行かせてくれたんです。すぐ、神宮に駆けつけました。

 優勝ってワクワクして、優勝したらどうなるんだろうと思っていたら……何も感じないんですよね。ワーッと胴上げが始まっても、何も感じなくて。「なんだ、こんなもんだったのか」と思ったら、膝から胸ぐらいまで、びっしょり濡れていた。「あれ、雨でも降ったかなあ。でも降ってるはずないな」って思ったら、気が付いたら涙を流していたんです。バーっと、滝のように。

 でも、まったく涙が出ていることに気が付かなくて。自分が自分でなくなっていたような。感動をとおり越えるものが、人間にあるんだなと。うれしいっていう気持ちも、どうだったんだろうなぁ。なんか、そのシーンだけを見ているカメラみたいな感じだったのかな。それ以降ももちろん、優勝やそれに近い場面に立ち会っていますけど、感動は85年のあそこがやっぱり一番でしょうね。

 ファンとしての思いに加えて、プライベートでも川藤さんとかは交流があったので、球場で優勝の行事も終わったときに「おめでとうございます!」って言ったら、「ちょっとホテルのほうへ、来いや」と。当時、東京ドームのそばにあった阪神の定宿のホテルに、懇意にしていた漫画家の水島新司先生と、一緒に行こうと。行ったら、川藤さんに「よかったな、お前」って言われて、「これ記念に持って帰れ」って。川藤さんがその日に使っていたバットにサインを書いて、記念にくれたんです。そんなこともあった。

 そのとき、同じホテルの一室で……これは、後から聞くことになるんですけどね。佐野仙好掛布雅之、阪神ファンの方は知っているかもしれないけど。佐野さんが中央大学から、レギュラーでバリバリで入ってきてサード。だけど、掛布さんが来たことで外野にコンバートされた。だから、チーム内ではちょっと犬猿の仲みたいなところがあったんだけども。その日、佐野さんが部屋で、掛布さんに「お前がいたからここまで、ライバル心を燃やしてやってこれたんだよ」と。お互いに、そこで心が通じたっていう話がある。

 優勝って、本当にすごい力があるんです。どこの球団もそうなんですけど、それまで仲が悪かったフロントと現場が仲良くなったりとかね。みんながやっぱり優勝すると救われるというか、ウインウインになるんですよね。不思議なもんだな。

 85年の優勝の要因は、まあ、あの打線ですよね。掛布さんは、結局その3年後ぐらいに引退しますね。当時は甲子園球場も改装前だから、センターから左への風が今よりも強かったんですよ。掛布さんは左のほうに押し込むんですが、それによって手首をやっちゃうんですよね。ある意味、自分の選手生命を懸けてレフトに持っていく。

 岡田(岡田彰布)さんに関しては、新人の年(80年)、当時のブレイザー監督はヤクルトから来たヒルトンをずっと使っていたでしょう? そこで岡田さんはレギュラーを獲っていく。そういうときのことまで知っているから、単に4月17日のバックスクリーン三連発だけじゃなくて、人生物語も含めて、あの打線はすごく興味深いところがあるね。

暗黒期、星野さんの目


 85年の優勝以降は暗黒時代で、とても優勝という状況じゃなくなる。85年のとき、俺は優勝してすぐ、よっさん(吉田義男監督)にも土井さん(土井淳、ヘッドコーチ)にも言ったんですよ。「野球は基本的にはディフェンス。阪神の歴史もそうだけど、ピッチャーでこのチームは上位にいた。バッティングは水物で、そんなに毎年、ランディ・バース・掛布・岡田が続くものでもないから、とにかくディフェンスのほうをしっかりやってください」って。「ああ、分かった、分かった」って言って、次の年に3位。やばいなぁと思ったら、もう次の87年に最下位ですよね。

 それから15年間で10回最下位になるんです。ちょっとないでしょう、プロ野球の歴史を見ても。世の中の人が、冗談が冗談で通じないぐらいになって、「阪神、PL(学園高)よりも弱い」と言われても、まあしょうがないねって言ってたよね。

 91年に・・・

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