今年、4度目のドラフトに挑む。高校でプロ志望届を提出すると、大学、社会人では年代別の侍ジャパンにも選出され、ドラフト候補と評価され続けてきた。しかし、これまでその名前が呼ばれることはなかった。そして今年、不退転の覚悟でくふうハヤテに入団。できることはすべてやり、そのときを待つ。 取材・文=早川大介 写真=早川大介、湯浅芳昭 一番近いところで
「今年は自信があるとかないとか言うよりも、とにかく行きたい。その気持ちだけです」
ウエスタン・リーグ全日程終了からまだ間もない10月初旬。みやざきフェ
ニックス・リーグへ向けて、本拠地・ちゅ〜るスタジアム清水で汗を流していた野口泰司は、落ち着いた表情で口を開いた。
これまで3度、吉報を待ったが届かなかった。愛知の栄徳高では1年時から控え捕手としてベンチ入りすると、2年時には主軸を務め、夏の県大会決勝まで進むも中京大中京高の前に敗退。3年時の夏は西愛知大会は3回戦敗退と甲子園には届かなかったが、強打の捕手として注目を集め、プロ志望届を提出。しかし、指名はかからずに名城大へと進学した。大学に進んでからも着実に力を付け、大学4年時には侍ジャパン大学代表にも名を連ねる。しかし、夏に右肩を痛め、ハーレムベースボールウィークでは力を発揮しきれなかった。それまでは上位候補の声も聞かれたが、その影響もあってか、2度目の悔し涙をのむことになった。
三度目の正直を信じて進んだNTT東日本。1年目から四番・DHで活躍すると、2年目には正捕手としてチームを都市対抗に導いた。2年目の夏にはU-23ワールドカップの侍ジャパンU-23代表に選ばれ、主将として優勝に貢献。それでもドラフト会議で名前を呼ばれることはなかった。
そして野口はNTT東日本を今年3月で退社することを決断。ファームリーグ参加チームのくふうハヤテベンチャーズ静岡のトライアウトを受け、5月より加入した。大企業であるNTT東日本にいれば、野球を引退したあと社業に就けば安定した生活を送ることができただろう。年齢的にも後がないことは分かっている。それでも選んだ夢へと続くいばらの道。
「上でやってみないことには自分の立ち位置が分からないと思ったんです。まずはその場に立つことがスタートラインで、そこで活躍することができなければあきらめもつく。その場所に一番近いのがくふうハヤテだと思いました」
不退転の覚悟──。チームは2月から始動し、キャンプを経て公式戦も始まって1カ月が過ぎていた。その時間を埋めるため臆することなく投手とコミュニケーションを取った。「チームに合流した初日からスタメンを奪うつもりでやっていたので、練習中からずっと話をしていましたし、抜かりなくやったつもりです」と言うように、すぐにチームにもなじんでいった。
手応えを感じた1年
初の公式戦は入団してから1週間が過ぎた・・・
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