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<SPECIAL TALK>田淵幸一×江夏豊 対談 阪神黄金バッテリー

 

球団創設90周年の今季、阪神は史上最速のリーグ優勝を果たした。東京・巨人の象徴がONなら、それに立ち向かったのが、大阪・阪神の「黄金バッテリー」。タイガース愛、対長嶋茂雄、対王貞治、対ジャイアンツについてたっぷり語った。
取材・構成=飯尾哲司 写真=桜井ひとし(インタビュー)、BBM

ブチ、ユタカと呼び合う仲。あうんの呼吸があり、和やかなムードで対談は進んだ[上が田淵、下が江夏]


変わらぬ縦縞への愛着


 江夏豊は阪神入団2年目の1968年に25勝、401奪三振で両タイトル獲得。同年11月のドラフトで、東京六大学22本塁打の記録を引っ提げた法大・田淵幸一が阪神に1位指名された。江夏は9年間、田淵は10年間の阪神在籍で、バッテリーを組んだのは75年までの7年間。「黄金バッテリー」の名が冠せられたのは72年ごろだった。

──お2人の初対面は68年ドラフト直後、週刊ベースボールの対談企画ですね。

江夏 ワシはすでにタイトルを獲っていたので、ブチ(田淵)は2歳下のワシに「江夏さん、これからよろしくお願いします」と、さん付けで気を使ってくれたが、何十年前のことや。内容までは覚えとらんがな。

田淵 覚えとるよ。社会人のユタカ(江夏)はスーツ姿。俺は学生服。そのときの記念写真はウチにまだあるよ。阪神の選手は村山実さんとユタカしか知らなかった(苦笑)。2人ともすごい投手だったから。

江夏 学ラン姿は印象深いよ(笑)。それにしても、独身寮(虎風荘)を出た71年、住んでいたマンションが同じだった。甲子園の近く。縁があった。

田淵 ホント、そんな偶然があったんだよなあ。

江夏 当時、共通の知人らとホームパーティーをしたな。

田淵 懐かしいね。でも、「黄金バッテリー」と呼ばれたのはいつごろからだ?

江夏 ワシが最初バッテリーを組んでいたダンプさん(辻恭彦)が71年に全130試合に出場している。翌72年、ブチが一本足打法になって30何本打ったあたりだと思う(34本塁打、82打点)。

田淵 誰か新聞記者が名付けたんだよな。

江夏 関東の巨人・ONに対して、関西の象徴である阪神が立ち向かったのが、われわれだった。力勝負では投手の奪三振、打者の本塁打が野球の華で、ファンが喜んでくれた時代だった。

田淵 現在は「七色の変化球」とか言うけれど、ユタカにはフォークもスクリューもない。ストレートとカーブだけだった。それでいて68年シーズン401個も三振を奪うということは、「コントロールがいいこと」「ストライクの出し入れができること」「相手打者の心理を読めるクレバーな投手だ」というのが、俺の最初のイメージだった。

──68年の優勝は巨人ですが、江夏さんがMVPでもよかったかもしれませんね。[編集部注/MVPは打率.318、39本塁打、125打点=打点王=の長嶋茂雄。参考/歴代メジャー(1900年以降)最多奪三振は、73年エンゼルスのノーラン・ライアンの383個]

江夏 そういう意味では、投手の奪三振というのは地味な数字なのかなぁ……。

田淵 俺は翌69年に阪神入りするんだが、当時スピードガンがあれば最低155キロは出ていた。捕球する左手が痛いから、ミットの内側にスポンジを貼り付けていたんだ。

江夏 ブチが東京六大学から鳴り物入りでプロ入りしてきた。強肩で、入団5年間、半分以上の盗塁を刺していたよな(通算でも盗塁阻止は企図766、阻止率.423)。

田淵 それはユタカの一塁けん制とクイックがうまかったおかげだな。俺は高校入学時に外野手だったし・・・

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