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日本シリーズ第5戦、延長10回に死球を受けながらもダメージを負った足で激走。その後、涙を流しながらベンチへ引き揚げる姿は今シリーズの名場面として記憶に刻まれた。日本一の興奮から1週間、倉敷で秋季キャンプを行う不屈の二塁手に、自身初の夢舞台を振り返ってもらった。

構成=茂原邦雄 写真=早浪章弘、BBM

涙の理由は仲間の熱い気持ち

▲10月26日の初戦、5回表の守備で二ゴロを素早く本塁へ転送し三走の生還を許さず。日本シリーズでも随所で名手ぶりを発揮した(写真=内田孝治)



――日本シリーズから1週間が経ち、日本一の実感も湧いてきましたか?

藤田 日本一が決まった瞬間よりも、時間が経って、こうやって倉敷キャンプに来れば球場に来てくださるファンの方に今まで以上の声援をもらえるし、「日本一おめでとう!」とホテルの前にも横断幕を張ってくれていたりするので、そういうのですごく今、実感できていますね。

――スタンドで見ている人の視線の熱さも、例年以上ですね。

藤田 ホント、すごく声援は変わりましたね。選手がグラウンドに出て来るたびに大きな声援をしてくれるので、日本一になったんだなって思います。

――今年は長いシーズンでしたが、体の状態はいかがですか?

藤田 思ったより疲れはないんですけど、第5戦のデッドボールの影響が少しあって、今はフルメニューはこなせていない感じですね。当たりどころがあまり良くなかったので、無理をしてほかのケガにつながらないように、しっかり治しながらアジアシリーズに向けて調整したいなと思っています。

――その日本シリーズ第5戦での左足への死球についてうかがいます。当たった瞬間、珍しく相手投手に対して怒りの感情が見えました。

藤田 あれは怒りではないです。追い付かれて延長戦に入って、先頭の則本(昂大)がフォアボールで塁に出て、しっかり岡島(豪郎)が送ったということで、ここは決めてやろうという気持ちが自分の中で強かったんです。だから、自分で決めたかったという、そういう感情ですよね。でも結果、後ろの銀次につなげられて、しっかり銀次が打ってくれたので良かったです。

▲10月30日の第4戦、2回表に中前へ適時打を放った藤田は、その裏、レフトスタンドからのコールに一礼(写真=伊藤真吾)



――左ふくらはぎは過去に4回死球を受け、そのうち2回が長期離脱につながった箇所だそうですね。

藤田 その2回は、3カ月と2カ月ぐらいかかりました。なので、ちょっと嫌だなというのはありました。でも、今回は歩けたので、まだいけるかなというのはあって。

――治療を経てグラウンドに戻りましたが、銀次選手の安打で三塁に進んだところで交代が告げられました。

藤田 トレーナーさんからは無理はするなと言われていたんですけど、せっかくの夢にまで見た日本シリーズだし、ああいう大事な試合で勝敗がつくまでグラウンドに立っていたかったですし、あそこで退くのは悔しくて。どうにか応急処置をしてもらって戻ったんですけど、最後はこれ以上は出たらチームに迷惑をかけるんじゃないかと思いましたし、監督からもういいよと言われたので。

――日本シリーズが終わってしまう悔しさが、あの涙に?

藤田 過去の長期離脱が頭にあったので、こういう形で終わりなんかなっていうのもありましたけど、ベンチに帰るときにみんなが出迎えてくれて、マギーもネクスト(バッターズサークル)からわざわざ来てくれたり、熱いものを感じて。僕がベンチ裏で治療しているときも、10回裏の守りに行く前にみんなが来てくれて、「絶対勝ちます!」とか、嶋(基宏)は僕に抱きついて「この試合、勝ってきます!」と言って出て行きました。だから、1アウト、2アウトってアウトを取るたびに、僕もまた泣いてましたね(苦笑)。

――帰りは車イスでした。ご自身は「大丈夫」と繰り返していましたが。

藤田 僕は「全然、歩いて帰りますよ」とは言ったんですけど、トレーナーさんが「無理はしないでおこう」と。だから、あれはちょっと大げさというか、大事を取っての車イスだったんですけど。でも、トレーナーさんには本当に感謝しています。当たった当日からずっと付きっきりで治療していただいて、翌朝も横浜の病院に行ってから仙台に帰るまで、帰ってからも家まで治療器を持ってきてくれて、第6戦にどうにか出られるようにしてくれたので。それでもやっぱり、自分の中で納得のいく状態までは回復せず、試合で結果は出せなかったんですけど、そこに立たせてくれたトレーナーさんには本当に感謝していますし、ベストじゃない体でも使ってくれた監督、コーチにも感謝ですね。


▲10月31日の第5戦、西村の初球が左ふくらはぎを襲う。三塁へ進んだ後に代走が送られ、涙を流しながら引き揚げた(写真=小山真司、高原由佳)



――第5戦の後に移動日で1日空きましたが、どのような治療を?

藤田 打撲や骨折に効く電気器具でずっとやってもらっていたんですけど、それがいい方向にいきました。自分としては絶対に出るんだと思っていましたし、第5戦で退いた時点でトレーナーさんには「なんとか出られるようにお願します」と言いました。日本シリーズというのはそれだけ、自分の中で特別なものだったので、なんとか出たいという気持ちは強かったですね。

守ってつないで、太陽にほえた1年

――シリーズ中はプレッシャーも大きかったのでは?

藤田 CS(クライマックスシリーズ)の方がどちらかと言ったら緊張したし、負けられないプレッシャーを感じたような気がします・・・

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