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64年ぶりの快挙


 その1球は、レジェンドの証しとなり、永久に偉業を顕彰する。9月5日の阪神戦(ナゴヤドーム)。先発の山本昌上本博紀に投じた第1球は、カーブだった。球審を務めた白井一行が、捕手の小田幸平に新しいボールとの交換を指示。試合後も大切に保管されたそのボールは、NPBからの要請に応じ、野球殿堂博物館に寄贈、展示されることになった。

 49歳0カ月。史上最年長での登板(出場)となった。つまり、試合の結果にかかわらず「記念球」となったわけだが、その試合を単なるショーで終わらず、レジェンドにしたのは山本昌の執念といっていいだろう。5イニング、90球を投げて阪神打線を5安打、無失点に封じた。味方打線も能見篤史を攻略し、最年長白星を贈った。

 それまでの最年長出場は、浜崎真二(阪急)の48歳10カ月。ベーブ・ルースより6歳下、沢村栄治より16歳上という日本野球夜明け前のプレーヤーだ。身長157センチと当時としても小柄な左投手は、上体を大きくひねるトルネード投法で体格のハンディを補っていたという。2リーグ元年の1950年11月5日に、毎日オリオンズの湯浅禎夫と示し合わせ、「48歳投手兼任監督」の先発が実現。生まれ月の差で浜崎の方が球史に残り続けてきた。実に64年ぶりの記録更新。当時とは野球の質、時代背景がまったく異なる中での登板と勝利だということは、さらにこの試合の価値を高めるはずだ。

「チャンスはこの一度きりだと思っていました。だから壊れてもいい。それくらい捨て身の気持ちでマウンドに上がったんです。そのチャンスを与えてくれたチーム、支えてくれたスタッフや家族、応援してくれたファンには本当に感謝したいです」



しつこい男


 名古屋の街には秋風が吹き、トンボが飛んでいた。チームはすでに124試合目だった。少し想像力をめぐらせてほしい。9月までは現役名球会会員にしてプロ31年目の山本昌が、親子以上に年齢の離れた若手とともに、ナゴヤ球場(二軍の本拠地)で汗を流していたということを。いつ来るか、いや来ないかも分からぬチャンス。5月には二軍の先発ローテーションからも外れ、たった1人でミニキャンプを張ったこともある。出口が見えない分だけ、故障からのリハビリ以上に苦しい闘いだったはずだ。

「僕はしつこいから(笑)。それに・・・

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