福岡でも貫く頑固でぶれない信念
▲背番号は西武時代も背負っていた18。やはり松坂[左]にはエースナンバーが似合う(右は王貞治会長)
自然にこぼれた笑みだった。12月5日、
ソフトバンク入りが決まり王貞治会長と並んでフラッシュを浴びた入団会見。ホークスのユニフォームに袖を通した
松坂大輔の晴れやかな表情が“決意”の表れだった。
代表質問が進む最中、松坂が考え込むシーンがあった。「大リーグで8年間プレーして得られたことは?」と聞かれたときだ。言葉を探していたのか、しばらく時間を置いて「この場で簡単に説明できるようなものではないと思います。つらいことも経験しましたけど」と言った。
本当の心情は松坂にしか分からないが、その簡単に説明できないというメジャー時代。「メッツに行ってから中継ぎもやりましたが、そこにやりがいを感じることができなかった」と本音で打ち明けた。
松坂はどこまでも頑固だ。「やっぱり僕はまだまだ先発がやりたい。先発をやる方が(自分を)伸ばせるし、先発ができると思っている間は、これからも僕はずっと先発にこだわってやっていきたい」。98年に甲子園春・夏連覇を成し遂げた横浜高校時代からまったく変わることがない、この頑固でぶれない信念。翌99年にプロ入りしてからも、松坂はいつも自身に課した信念を曲げず独自のスタイルを貫いてきた。
西武在籍時も有言実行しようとする頑固な姿勢が松坂流でもあった。当時、毎年優勝争いするライオンズとホークスは宿敵関係にあった。「松坂はチームのためなら全身全霊を込めてね、もう完全燃焼するピッチャーだった。特にライバルのホークス戦や日本シリーズのときは2人で先発して燃えたね。彼には頑固なまでに自分を追い込める(先発の)モチベーションが最も大切な要素だし、それは変わらない」と、当時西武投手陣をけん引したOBの
石井貴氏(現野球評論家)は言う。この言葉は日本球界復帰を決断した松坂の気持ちを代弁するものだろう。
日本でそれを追求できる球団がソフトバンクホークスだった。
会見に同席した王会長は「いろんな競争があった中で獲得できてよかった。プレッシャーはあると思うが、連覇を狙うホークスの中心として頑張ってほしい」とメジャー帰りの怪物に大きな期待を寄せた。「いろんな選択肢はありましたけど最初から僕に対する獲得したいという信念にまったくブレがなかった。皆さんの期待に応える自信もある」と言い切った松坂。日本で完全復活に懸ける最高の舞台が用意された。