火の玉ストレートを武器にクローザーとして阪神を支え続け、2013年からはメジャー・リーグへ移籍した藤川球児。かの地ではトミー・ジョン手術を行うなど苦しみ、今年5月レンジャーズで復帰登板を果たすもわずか2試合でメジャー40人枠から外れ、自由契約に。そして、藤川が次なる球団に選んだのは、出身地である独立リーグのチームだった――。 写真=山田次郎 100%の力で臨めるように調整中
「新しい人生のスタートとして最高の決断ができた」と笑みを浮かべながら会見に臨んだ藤川
四国アイランドリーグplus、高知ファイティングドッグスの藤川球児が正式に誕生した。6月8日に高知市内で入団会見を行った藤川は、「きょうこの日を迎えられたことを光栄に思うと同時に、新しい人生のスタートとして、最高の決断ができたんじゃないかなと思います」と、故郷に根を張る独立リーグのチームから野球人生の新たなスタートを切った。
背番号「11」は大リーグのシカゴ・カブスでも背負っており、「子どものときからずっと好きな番号。
巨人の
斎藤雅樹さんにあこがれていましたから」と選択した理由を説明した。
衝撃的なニュースがインターネット上を駆け巡ったのは、6月1日の午後だった。藤川が自身のブログを更新し、「志」というタイトルで身の振り方を発表したのである。
「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスを持った子供達に僕が投げる姿を見てもらって今後の夢に繋げて貰いたい!僕が投げる事で喜んでくれる人達の顔が見たい。僕を応援してきてくれた人達、育ててくれた高知から野球人生を再スタートする事に決めました。高知ファイティングドッグスでプレーすることになりました」(原文まま)
テキサス・レンジャースを5月に自由契約となり、日本球界復帰が有力視されるなか、古巣・阪神復帰が確実かのように報道されていた。阪神時代の藤川といえば、
ジェフ・ウィリアムス、
久保田智之とともに「JFK」を形成し、2005年の優勝にセットアッパーとして大貢献。その後はクローザーに転身し、「絶対守護神」とまで呼ばれていた・・・
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