高卒で日本ハムに入団し、1年目から先発陣の一角に食い込み、2年目から3年連続開幕投手を任された。だが、その後に故障から低迷して移籍を繰り返し、32歳で14年のキャリアに終止符を打つ。引退後はゴルフ界へ転身。現在は横浜スポーツマンクラブのティーチングプロとして活躍中だ。 取材・文=池田晋、写真=BBM 3年連続開幕投手を務めたファーストキャリア
高知商高では3度甲子園に出場。箕島高の
吉井理人(のち近鉄ほか)から満塁本塁打を放つなど、投手としてだけでなく打撃面でも活躍した。3年夏はベスト8で
桑田真澄(のち
巨人ほか)や
清原和博(のち
西武ほか)擁するPL学園高に9対10で惜しくも敗れた。大型で全国区の投手は、1984年にドラフト3位で日本ハムに入団した。
先発陣が手薄だった当時のチーム事情もあり、高卒ルーキーながら1年目から18試合に登板して4勝(8敗)を挙げる。そして、2年目にはいきなり開幕投手に任命された。
高田繁監督から大きな期待をかけられ、そこから3年連続で重大な役目を任された。
「開幕戦で投げると、ずっと相手のエース級と同じペースで投げ合うことになる。1試合だけじゃないんですよ」と任された者にしか分からないプレッシャーと苦労を語った。
ゴルフとの出合いは2年目のオフ。きっかけは先輩に誘われたことだった。
「メチャクチャ面白いと思ってハマりましたね。当時の日本ハムの合宿所は多摩川にあり、近くにゴルフのショートコースがあったんですよ。ゴルフのスコアが悪いのが嫌で、嫌で。オフの間は一人でショートコースを周って、相当練習しましたよ。そのおかげですぐにうまくなり、チームの中でも結構うまい方になりました」
話を野球に戻すと、3年目には2ケタ勝利をマークし、順調に主戦級としてキャリアを重ねていった。だが、4年目は8勝止まり。この年大卒で入団した
西崎幸広が15勝を挙げ、翌年の開幕投手に選ばれた。津野も負けじと89年に11勝をマーク。だが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン