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日米球界で輝きを放った東北の星・斎藤隆

 

東北が生んだ名投手が8月17日、今シーズン限りでユニフォームを脱ぐ決断をした。日米球界で24年間にわたってプレーし、NPB復帰後の2013年には楽天の日本一にも大きく貢献。多くのファン、そして選手たちからも愛された男の野球人生を辿ってみたい。

2013年には中継ぎエースとして30試合に登板。球団創設9年目での日本一達成の原動力の1人になった



 ユニフォームを脱ぐことを決めた斎藤隆の心には、一点の曇りもなかった。8月17日、コボスタ宮城で行われた引退会見で「非常に晴れやかな思いでいます。冷静にしゃべれる自分が不思議。もっといっぱいいろんな感情が湧いてきてほしいが、全然ない」と清々しい表情を浮かべた。

 今シーズンは4月に2登板しただけ。現在も直球は140キロ台後半をマークするが、連投すると前日の疲労を感じるようになった。二軍で若手に交じって練習する中で「彼らのチャンスをつぶしかねない」という思いも芽生えてきた。あえて鈍感になって胸に奥に閉じこめていた思いが、自分でも隠せなくなった。

 メジャーに挑戦したときから「引き際」は考えていた。36歳での大英断ながら「どう野球をやめようかというスタートだった」。マイナー契約からの出発だったが、開幕直後に昇格してチャンスをつかむと、翌07年には39セーブで球宴出場も果たした。

 メジャーに在籍した7年の月日の間に、生まれ故郷を東日本大震災が襲った。東北福祉大時代の同級生には福島の避難区域に住居がある人もいた。「少しでも何かできることがあれば」。2013年、数年にわたるオファーを受けてきた楽天への入団を決めた。8年ぶりの日本球界復帰。年俸はわずか3000万円(金額は推定)ながら、生まれ育った仙台に本拠地を置くチームで野球人生を終える決断を下した。

 19歳だった大学2年秋、宮城球場(現コボスタ)でのリーグ戦で伊藤義博監督(故人)に「最後」と言われた代打の打席があった。「『ここで打たなかったら野手終わりだ』と言われて代打で出たら、ノックみたいなセカンドゴロゲッツー。野球も学校もやめようと思った」。その1週間後に遊び半分でブルペン投球を行うと、指揮官の目に止まり「投手・斎藤隆」が誕生した。東北高で甲子園出場を決めたのもこの球場。13年11月3日、日本一の歓喜も味わった。言い尽くせないほどの思い出がある。

 91年ドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団。98年には先発として13勝をマークし、横浜に38年ぶりの日本一をもたらした。先発、中継ぎ、抑えと投手の役割すべてをこなしてきた。日米通算112勝139セーブという堂々の成績以上に価値ある現役生活。「勝ったとか、優勝したという以上に辛かったことをたくさん思い出してしまう。半分以上は悔しさと打たれたことで支えられている」。悔しさを味わい、それを乗り越え続けてきた24年間だった。

 引退の一報を聞いた星野仙一前監督は「田中(将大)もそうだけど、隆がいなかったらあの日本一はなかった」と言い切った。レッドソックスの上原浩治は「救援投手は皆、斎藤さんを目標にしているところがあった」と自身の境遇に重ね合わせた。その姿がチームメートだけにとどまらず影響を与えてきたからこそ、45歳までプレーすることができた。

 まだ続きはある。チームは地元出身のこの男を将来の監督候補として考えている。斎藤自身も第2の人生について思いをふくらませる。「野球以外のことは考えづらい。いろんな形で恩返しをすることは約束したい。やりたいことはいっぱいあります」。ひとときの休息を経て、また野球人として新たな一歩を踏み出す。

PROFILE
さいとう・たかし●1970年2月14日生まれ。宮城県出身。188 90圈1ε蟶限如E賈鵡-東北福祉大-大洋(現DeNA)92年1位-ドジャース06-レッドソックス09-ブレーブス10-ブリュワーズ11-ダイヤモンドバックス12-楽天13〜。日米通算成績は738試合登板、112勝96敗139S、防御率3.50。

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