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惜別球人 プロ生活に別れ 名選手たちの最後の勇姿

 

ようやく今季のセ・リーグ優勝が決まり、今週から日本一をかけた戦い(クライマックスシリーズ)が始まる。その裏では、プロ野球界を盛り上げてきたプレーヤーたちが、グラウンドを後にする。先週、引退試合、会見などを行った名選手たちの全盛期と最後の雄姿を紹介する。

山本昌・奇跡のような32年間に幕


アメリカ留学でアイク生原氏に投手のいろはを教わり、伝家の宝刀、スクリューボールを習得。その後数々の偉業をプロ野球界に残してきた



 32年間の現役生活に終止符を打った。一軍デビューは入団3年目の1986年。翌87年まで未勝利に終わったが、88年のドジャース留学が転機となった。恩師・アイク生原氏(故人)から投手のいろはをたたき込まれると、その年の8月に緊急帰国し、わずか8試合で5勝を挙げた。中日先発投手陣の柱となり、93、94年には17勝、19勝を挙げて2年連続最多勝投手に輝いた(94年は沢村賞を受賞)。だが、本人曰く、「技術的には今が最高潮」。飽くなき探求心で制球や変化球、投球術に磨きをかけ続け、下降線をたどる肉体を凌駕する技を身につけた。

 2006年9月16日の阪神戦(ナゴヤドーム)で41歳1カ月の史上最年長ノーヒットノーランを達成。08年8月4日の巨人戦(同)で42歳11カ月の史上最年長200勝投手となり、昨年9月5日の阪神戦(同)で史上最年長出場と同勝利投手の記録を64年ぶりに更新するなど、数々の偉業を成し遂げてきた。

 9月30日の引退会見では「奇跡のような野球人生を送ってこられた」と穏やかな笑みを浮かべた山本昌。10月7日の広島戦(マツダ広島)で最後のマウンドに上がり、その長い現役生活に終わりを告げた。



斎藤隆・日米で輝いた「東北の星」


横浜でプロキャリアをスタートさせた後、06年からはメジャーにも挑戦。その輝かしい雄姿は東北の誇りとして、多くのファンの記憶に刻まれた



 かつて斎藤隆はメジャー挑戦を「死に場所を探して」と表現していた。だが、海を渡り、たくましくなって日本に帰ってきた。

 1998年には横浜で13勝5敗1セーブをマークし、リーグ優勝と日本一に大きく貢献。2006年からは活躍の場をアメリカに移し、ドジャースとマイナー契約ながらシーズン途中からメジャー昇格し、クローザーを務め、球団の新人記録となる24セーブを挙げた。

「横浜の終わりくらいから球に手応えがあった。ドジャースのスカウトはGMとケンカしながら僕を推薦してくれた」。その期待に応えるかのように2年目には159キロを計時するまでに進化を遂げ、メジャー5球団で7年間プレー。そして13年から地元・仙台の楽天に加わった。

「鍛えた先に奇跡があり・・・

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