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球界の発展に尽力した男・松原徹氏を偲ぶ会

 

 9月20日にガンで亡くなった、日本プロ野球選手会事務局長の松原徹氏(享年58)を偲ぶ会が11月30日、都内のホテルで行われた。初代選手会会長(労組)の中畑清氏、04年のプロ野球再編問題の際に松原氏とともに選手会を引っ張った古田敦也氏ら、約700人の関係者が出席した。
写真=内田孝治



選手の地位向上と球界の発展に尽力


 日本野球機構(NPB)熊崎勝彦コミッショナーは「公の場のみならず、プライベートでも鍋をつつきながら話をしてもらいました。いつも『選手のことを気にかけていただくことが、選手にとって一番うれしいこと』と言っておられ、選手を思いやる万感がこめられていたと思います」などと、弔辞を読んだ。

弔辞を読む熊崎コミッショナー



 古田氏は「選手の地位向上だけでなく、常に球界発展、未来のためにアイデアを出す方でした。亡くなる1週間前にお会いしたときも、『せっかくアマとプロの関係が改善されたのだからサッカーの天皇杯のようなものができないか』と話していた」などと弔辞を述べた。

親交の深かった古田氏は涙をこらえることができなかった



過去に選手会会長を務めた新井貴浩選手[広島]も出席。11年には、東日本大震災の直後に予定どおりのシーズン開幕を決めた球団に反対し、4月12日に延期。12年のWBC問題では利益配分がアメリカに偏る大会運営に疑問を投げかけ、一度不参加を決議し、メジャー側の譲歩を引き出すことに松原氏とともに尽力



 キャスター時代に交流のあった日本ハム栗山英樹監督も出席。03年12月に初開催されたシンポジウム「夢の向こうに」では、栗山監督がコーディネーターとして現役選手にインタビューしながら聴衆の高校生へ向けてメッセージを伝える役割を担った。「すべての架け橋をつくってくれた。『夢の向こうに』があったから『熱闘甲子園』もできた。そこで(大谷)翔平とも会った。翔平を日本に残してくれたのも、松原さんなのかもしれない。すべてのことがないと、監督にもなっていないと思う。ただただ、感謝です」と語った。

 松原氏は81年に神奈川大からロッテオリオンズに入社。83年から山本一義監督、稲尾和久監督の下で一軍マネジャーを務めた。88年に、当時選手会副会長を務めていた落合博満選手(現中日GM)の勧めでプロ野球選手会の仕事に就いた。2000年4月より事務局長となった。プロ野球選手の地位向上、プロアマ問題の解決、12球団合同トライアウトの導入、野球振興など、さまざまな活動で野球界の発展に尽力してきた。

多くのプロ野球選手、OBや関係者が松原氏との別れを惜しんだ

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