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惜別インタビュー
荒木大輔が迫る!西口文也 21年間の現役生活

 

マウンドでは常に表情を変えずに涼しい顔をして、相手打者を牛耳った。マウンド外でもひょうひょうとした態度でマイペースを貫いた。それでも、ファンからの人気は絶大だった。ライオンズのユニフォームを着続け、21年間の現役生活で積み上げた白星は182。2度のノーヒットノーラン、1度の完全試合未遂でも印象に残った西口文也。2004年から07年まで西武の投手コーチを務めた荒木大輔氏が、ライオンズのレジェンドを直撃した。
構成=小林光男、写真=高塩隆(インタビュー)、BBM



与えられた練習はきっちりとやった


荒木 9月28日のロッテ戦(西武プリンス)で引退試合を終えて約3カ月が経ったけど、体を動かしたいと思うことはある?

西口 いや、全然思わないです(笑)。ゴルフはやっていますけど。やっぱり少しは汗をかかなければいけないと思うこともありますが……やらないです(笑)。やっても、たまに散歩くらいですかね。

荒木 オツ(西口の愛称)の場合は太らないからね。

西口 そうですね。太ったかなと思って体重計に乗ったら、全然変わっていない感じで。本当は若干、太った感はあるんですけどね。

15年9月28日のロッテ戦[西武プリンス]で引退登板。セレモニーではナインの手によって胴上げされた



荒木 マウンドに立ちたい、野球をやりたいという気持ちは?

西口 それも、まったくないですね。

荒木 本当にやり切った感じなんだろうね。でも21年間、ライオンズ一筋の野球人生。著書のタイトルにもなっているけど、「自然体」だったからこそ、全うできたのかな。

西口 そうですね。僕はあまり何も考えずにというか、マイペースでやってきましたから。

荒木 練習でもそうだよね。かといって、まったくやらないわけでもない。西口「練習嫌い」なんて言われていましたけど、与えられたことはやっていましたから。

荒木 ランニングにしても手を抜くわけではないからね。

西口 そのへんはしっかりと。やらなければいけないことは、一生懸命にやらないといけませんから。

荒木 それは高校(県和歌山商高)、大学(立正大)時代から?

西口 そうですね。特に大学は厳しかったので。大学1、2年といったら、先輩の言うことも絶対ですしね。

荒木 それで1995年ドラフト3位で西武に入団したわけだけど、プロ入り当初の思い出は?

西口 チームにはプロ野球ファンが知っているような投手がたくさんいましたから。先発ローテには郭(泰源)さん、石井(丈裕)さん、新谷(博)さん……。この中でやっていけるのか、一軍に上がって活躍できるか不安はありました。

94年秋のドラフトで西武から3位指名を受けて入団



荒木 でも、1年目途中からアメリカへ野球留学しているよね?

西口 はい。5月半ばから独立リーグのノーザンリーグへ。アイオワ州にあるスーシティ・エクスプローラーズというチームでした。1つ上の先輩(山田潤)と2人で。現地の通訳もいたんですけど、1週間くらいでやめてしまって。移動でバスに14時間くらい乗っているときもあって、しんどかったですね。でも、本当は2人で9月終わりまでいる予定だったんですけど、僕だけ7月に帰国して。チーム事情で投手陣が苦しい状況だったので、急きょ呼び戻されたようです。最初、中継ぎで何試合か投げて、最後の2試合は先発して2勝を挙げました。

荒木 1年目にプロでやれると思った瞬間はあったのかな。

西口 ほとんどファームでも投げることなくアメリカへ行きましたから。独立リーグの選手に対しては抑えられたので、やっていけるというか、自信にはなりましたね

荒木 でも、一軍で投げているときは、感覚的にどんなものだったの?

西口 捕手は伊東(勤)さんだったので、言われたとおりに投げるだけでした。あまり自分では何も考えられなかったですからね。腕を振ることだけに集中して、ガムシャラに投げていました。

荒木 やっぱり伊東さんは投げやすかった?

西口 そうですね。別に首を振りたいときは振っていい、と言われていましたし。でも・・・

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