週刊ベースボールONLINE

引退後は野球スクールのコーチに 元ヤクルトなど・坂元弥太郎の第二の人生

引退後は野球スクールのコーチに 元ヤクルト・坂元弥太郎の第二の人生

 

小さいころから野球一筋だった男はプロ13年間で4球団を渡り歩きながら決して腐ることなく、常に新天地で全力を尽くしてきた。夢の舞台に立ったその経験を、一人でも多くの子どもたちに味わわせてあげたいと、今も変わらぬ全力投球で第二の野球人生を歩んでいる。

 練習を終え、汗をぬぐいながら現れた坂元弥太郎の声は枯れていた。プロ野球を引退してから3つ目の新天地で、やっとやりがいを感じることができている。それが小・中学生を対象にした野球スクール「ベースボールワールド」のコーチの仕事だ。

 引退後すぐオーダーメードスーツの会社に入社。営業を経験した。現役時代にスーツを頼んでいた縁で、入社をお願いした。

「いつか野球に携わる仕事に就きたいとは思っていましたが、野球しかやってきていなかったので、一般常識を身につけるためにも社会に出てみよう、会社で何年か仕事をしてから野球界に戻ろう、と考えていました」

 だが、そこには自分が求めている達成感や喜びはなかった。

「営業成績が良くても何も感じなかったんです。そのときに『あ、早く戻りたいんだな』と」

 そして知人の紹介で、東京都練馬区のバッティングセンターにある、野球スクールへと職場を移す。引退から、わずか半年後のことだった。

2002年5月24日の横浜戦[神宮]でプロ初勝利を挙げた。一番印象に残っている試合だと振り返る



 坂元弥太郎の名が世間に知れ渡ったのは浦和学院高3年時の夏の甲子園で、1試合19奪三振(対八幡商高)という56年ぶりの大会タイ記録をたたき出したときだった。その秋、ドラフト4位でヤクルトに入団。日本ハム、横浜(現DeNA)、西武と渡り歩き、2013年限りで引退した。その13年間で学んだことがある。

「レベルが高い人であればあるほど、それぞれの調整方法を持っていて、自分の勉強になりました。そういう意味では4チームに行けたということは、良かったですし、その時々で得たトレーニング方法や人脈は、今の仕事でも役に立っています」

 練馬のバッティングスクールでは多くの喜びを感じることができたという・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

HOT TOPICS

HOT TOPICS

球界の気になる動きを週刊ベースボール編集部がピックアップ。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング