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バーネット、呉昇桓、李大浩…MLBで奮闘する助っ人選手たちの現在

日本で6年プレーしたバーネットは今年からMLBに活躍の舞台を移している(写真=Getty Images)

 

日本での実績が認められたバーネットは32歳でメジャーデビュー


 昨年、日本のプロ野球で活躍して今年はメジャーで奮闘している助っ人たちがいる。ソフトバンクで日本シリーズMVPに輝いた李大浩はマイナー契約でマリナーズに入団。スプリングトレーニングで実力を認められ、開幕ベンチ入りを果たした。4月8日のアスレチックス戦で初本塁打。4月13日のレンジャーズ戦では延長十回にサヨナラ本塁打を放った。4月は12試合で打率.280、2本塁打、3打点。左腕用の一塁手として存在感を示している。

 阪神で一昨年、昨年とセーブ王になった呉昇桓はカージナルスの救援投手。僅差の試合でおもに7回に起用され、4月は12試合に登板して1勝0敗、防御率1.38、と、安定した投球を演じている。

 昨年、呉とセーブ王のタイトルを分け合ったヤクルトトニー・バーネットは、レンジャーズの救援陣に名を連ねている。4月は10試合で0勝1敗、防御率3.38だった。

 メジャー初登板は4月5日のマリナーズ戦。試合前には、ヤクルトでチームメートだったマリナーズの青木宣親に日本語で「頑張って」と声をかけた。青木は「くせのない日本語で、びっくりした。日本語、あんなにうまかったかな、ってね」と驚いたものだった。試合では7回に登板。青木に適時打を許すなど2/3回で2失点。敗戦投手になり、32歳でのメジャーデビューは、ほろ苦いものになってしまった。

 この試合のほかにもう1試合、2失点だったことがあってこの防御率だったが、10試合中8試合は無失点。負けている試合や大量リードの場面での登板が役目だが、自身の仕事に必死に取り組んでいる。

 李や呉は韓国、日本、メジャーとステップアップしてきた。それに比べ、メジャーに届かず来日し、それから憧れのメジャー舞台を踏むことができたバーネットは、李や呉よりも喜びは大きいかもしれない。

 アリゾナ州立大から2006年ドラフト10巡目指名でダイヤモンドバックスに入団。2009年に招待選手としてスプリングトレーニングに参加したものの結局一度もメジャーに昇格できず、2010年からヤクルトのユニホームを着ることになった。

 それから6年。先発から救援に転向したり、一軍と二軍を行き来したり、自由契約になったりと、苦しいことも多かったが、日本での努力が実って昨オフ、レンジャーズとメジャー契約を交わすことができた。スプリングトレーニングで会ったとき「暖かい日本のファンのことは忘れられない。同時にメジャー経験のない僕を評価してくれたレンジャーズには、本当に感謝している。精一杯頑張って、恩返しをしたい」と話していた。

 ちなみにスプリングトレーニング前、レンジャーズの公式ホームページには、短髪でひげのない顔写真が載っていた。「米国に帰ったら、お行儀よくなったんだ」と日本のファンが言ったものだ。「米国の友人にも指摘されたよ。あれはむかしの若いころの写真を加工して、帽子だけレンジャーズのものにしただけ。(長髪、ひげ面の)僕は変わらないよ」と、いたずらっぽく笑っていた。

 背番号は43である。ヤクルト時代の34は、レンジャーズではノーラン・ライアンの永久欠番なので断念。数字を入れ替えていま、背にしている。

 日本でプレーしてからメジャーに戻った選手は珍しくない。最も成功したのは1989年に阪神に在籍し、帰国後メジャーで本塁打王2度、打点王3度を獲得したセシル・フィルダーであろう。現役でも、2008年から2年間広島で投げ、メジャーに戻ってレンジャーズの先発に定着したコルビー・ルイスがいる。ただ、彼らは来日以前にメジャー経験がある。マイナーでしかプレーしたことがないまま日本に来て、メジャー契約で帰国するバーネットのような例は珍しい。日本のプロ野球がメジャー関係者に評価されているということである。

 日本人選手がメジャーでばりばり働いて、日本野球のレベルの高さを示すことができた。それに加え、米国で芽を出すことができなかった選手を磨き上げて一人前にして送り返すと、またいっそう日本の野球が注目されることになる。米球界にも刺激になる。日米双方にとって、いいことだろうと思う。

取材・文=樋口浩一
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