万波中正は、コンゴ人の父と日本人の母を持ち、潜在能力の高さは早くから注目されていた。中学時代は東練馬シニアでの活動と並行して陸上部に所属。1年時の100メートルハードルで東京大会2位、3年時には砲丸投げで全国大会へ出場した。フリー打撃では左翼ネット越えの場外弾を連発。1年夏の県大会ではライナーで横浜スタジアムのバックスクリーンへ突き刺した一方、実戦では苦しみもした。しかし、平田徹監督は・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン