千葉が誇る未来の左腕エースを育んだのは、地元・秋田の“雪”だった。成田翔が「成長できた場所」だと振り返る、秋田商高の雪に覆われたグラウンド。持ち前の負けん気でプロへの道を切り開いた3年間、そしてプロ3年目を前にした成田の現在地とは。 取材・文=杉浦多夢、写真=小山真司 「負けたくない」が原動力
柔らかな陽の光が差し込む、12月下旬としては穏やかな朝だった。豪雪地帯の一角に位置する秋田県秋田市。前週に北日本を襲った大寒波がもたらした積雪は緩やかに溶け、秋田商高の野球部グラウンドを覆う雪もわずか数センチばかり。それでも、1年ぶりに地元へ帰省した成田翔は寒そうに震えている。
ロッテにドラフト3位指名を受けてから2年。20歳を目前にした若き左腕にとっては、選手寮&グラウンドがある浦和やチームの本拠地・千葉の暖かな気候に慣れてしまうのに十分な年月だったのかもしれない。
成田が野球を始めたのは小学4年生のときだ。13、14人という小所帯のチームだったため、投手をやりながら多くのポジションを経験した。左利きながらときに遊撃を守ることもあった。中学時代は軟式野球部に所属し、本格的に投手へ専念するようになったのは中学2年のとき。秋田商高に進み、そこで初めて硬式球を握った。「戸惑いはなかった」と言うが、成田が本当の意味でスタートラインに立ったまさに原点だ。「故郷で最も思い出深い地はどこか」と尋ねられ、真っ先に母校を挙げたのは当然のことだった。
「プロ入りするまでに、野球に関して一番頑張ったのは高校時代。秋田商高での3年間があったからプロに行けたと思っているし・・・
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