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イチロー惜別短期連載

イチロー栄光の軌跡 第五回「日本代表を初代世界一に導く」

 

2006年、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。それは球史に残る劇的な展開となり、日本が初代世界一に輝いた。その主役であり、さらにいえば、演出者でもあったのがイチローだ。
写真=小山真司

王監督[左]とともに世界一を喜ぶ


レーザービームの衝撃


「王監督の近くがいいな」

 練習前、福岡ドーム(ヤフオクドーム)のネット裏の一室。待機していたわれわれの前で、日本代表のユニフォームを着たイチローがそう言って笑顔でペンを走らせた……。

 内輪話になるが、2006年、第1回WBCで日本代表の選手、首脳陣に寄せ書きをしてもらった日の丸は、当時の編集部員が東急ハンズで購入したものだ。自主トレ、春季キャンプ中に王貞治代表監督(当時ソフトバンク監督)をはじめとしたコーチングスタッフ、代表選手に連載インタビューを行い、その際に書いてもらおうとなったもので、最初は「やるだけやってみようか」と軽く考えていたが、白地が少しずつサインで埋まっていくのとともに、身が引き締まるような思いが生まれたのを覚えている。

 幸い、このとき日本代表のオフィシャルカメラの仕事を依頼され、カバーしきれなかった選手、コーチは代表合宿地、福岡ドームで顔写真撮影のときに書いてもらうことができた。そのラストがイチロー。まさに画竜点睛の瞬間だった(旗は野球殿堂博物館に寄贈。企画展のたびに展示されている)。

 05年5月11日に開催構想が発表されたWBCは、オリンピックには不参加のメジャー・リーガーが参加し、世界最強を決める国別対抗戦とうたわれていた。9月17日には日本の参加が決定し、ソフトバンクの王貞治監督が指揮官に決まっている。

 ただ、当初はすこぶる評判が悪かった。メジャー・リーグのグローバル構想、要は宣伝的意味合いが強く、開催に向けてあまりにMLBが強引だったこともある。一般的にも「WBC? 何それ、ボクシング? プロレス?」みたいな反応がほとんどだった。

 日本代表の選考も難航した。大会の目玉と言われたヤンキースの松井秀喜からは、なかなか返事が来ず、ほかの日本人メジャー・リーガーからも色よい反応はない。仕方あるまい。大会は3月初旬のスタート。通常年より調整が早まり、故障のリスクも高まる。

 そんな中、マリナーズに在籍していたイチローが12月2日に参加の意思を表明した。その際、「王監督に恥はかかせられない」と語り、すぐさまトレーニングをスタートしたとも報じられた。2月に入って、古巣であるオリックスの宮古島キャンプに調整のため参加した後、福岡の代表合宿に合流した。

 2月21日、練習初日。グラウンドに現れた日本代表選手たちからはテレのようなものが感じられた。どこまで本気になっていいのか、つかみかねる空気だったのだと思う。

 相手が親善試合のつもりなのに、こっちだけ本気になっても……、さらに言えば、「メジャーが集まったアメリカやドミニカ共和国に勝てるはずがない」という思いもあった。当時、以前とは比べものにならぬほど“接近”していたが、まだまだメジャー・リーガーは雲の上の存在に思えた時代だ。

 すべてを変えたのが・・・

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