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平成スワローズを語る

選手、監督でリーグV 真中満インタビュー 「入団したのは黄金時代。そうそうたる外野陣と勝負するためには、打撃を磨くしかなかった」

 

黄金時代に入団し、ライバルが多い中で台頭し、主力として1997年、2001年のリーグ優勝に貢献。引退後も指導者として球団に残り、15年には監督就任1年目にしてチームを14年ぶりのリーグ制覇へ導いている。ツバメ一筋の左打者が輝ける時代を振り返る。
取材・構成=富田庸、写真=BBM

2001年の日本シリーズでは近鉄を相手に2戦連続本塁打。優秀選手に選ばれた/写真は10月23日の第3戦、神宮


定位置を奪うために


 宇都宮学園高では3年時に春夏連続で甲子園に出場し、センバツではベスト4に進出。日大に進学すると1年秋に一部昇格を決め、4年春には東都大学リーグで打率.386、13打点と2冠に輝くなど、バットで存在感を示した。ベストナイン4度という十分な実績を引っさげ、93年ドラフト3位でヤクルトに入団。タレントぞろいのチームの中で、自分が生きる道を模索し続けた。

 私が入団する前の年(1992年)、チームは日本一を懸けて西武と日本シリーズを戦っていたんです。ヤクルトは3勝4敗で敗れてしまいましたが、神宮球場での戦いがすごく印象に残りました。だから、11月のドラフト会議でヤクルトに指名されたときは、日大時代に慣れ親しんだ神宮でまた野球ができるという思いがまず浮かびました。当時のヤクルトは人気が高まってきたころ。あの大舞台も見ていたわけですから、やりがいのある球団に指名してもらったという喜びが大きかったです。

 ただ、当時は黄金時代に突入したタイミングでしたし、レギュラーはほぼ固まっている状態でした。外野のポジションは3つありますので、何とかそのうちの一つをという思いでしたね。センターの飯田哲也さんを筆頭にして、私と同じ左打ちの秦真司さん、荒井幸雄さんもいて、そこに外国人選手が絡んでくるという構図です。さらに2年後に稲葉篤紀も入ってくるわけですから、レギュラーの座を確保することは容易ではありません。入団して数年は、守備固めが主な仕事でした。

 私にとって大きな存在だったのは、91年から7年連続でゴールデン・グラブ賞に輝き、92年にはベストナインにも選ばれた飯田さんでした。守備のスペシャリストであり、足も速い。そんな選手と勝負するためにはどうすべきかと考え、徹底して打撃を磨きました。転機となったのは97年7月で、飯田さんが試合中に左ヒザを負傷して登録抹消になったんです。そこで私が代役としてセンターに入り、打席数こそ少なかったんですけど、打率.338の成績を収めることができました。

 当時の指揮官は野村克也さん。「野村ID野球」という言葉が広まり、外部からは管理野球というイメージを持たれたりしたんですけど、実際の試合では選手に・・・

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