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平成ライオンズを語る

黄金時代を支えた剛腕 渡辺久信インタビュー 「大事な試合では絶対に負けなかった黄金時代。監督就任時は『ファンを戻してほしい』と言われ、俄然やる気に」

 

150キロに迫るストレートを武器に昭和時代から強力投手陣の“顔”となっていた渡辺久信。平成時代でも剛腕でファンを魅了し、5連覇に貢献した。2008年からは監督に就任し、いきなり日本一へ。現在はGMとして辣腕を振るう男に、黄金時代、そして監督時代を振り返ってもらった。
取材・構成=小林光男 写真=BBM

1990年には18勝を挙げて最多勝を獲得。V奪回に大きく貢献した


ミスを許さないチーム


 昭和最後の年、15勝を挙げ最多勝を獲得した渡辺久信。黄金時代の右のエースとして、その地位を確立していた。迎えた平成元年。90年のシーズンも15の勝ち星を積み上げたが、野球ファンの記憶に残っているのはシーズン終盤、近鉄のブライアントに打たれた一発だった。

 前年、「10.19」があって、世間は近鉄を応援している雰囲気でしたよね。10月12日の天王山、近鉄とのダブルヘッダーで私は“ブライアント対策”のためにベンチに入りました。2日前に完投していたんですけどね。「勝負の場面になったらいく」と言われていて第1試合、5対5の8回表、ブライアントの打席でマウンドへ。この日、ブライアントは2打席連続本塁打と絶好調。追い込んでからブライアントの空振りゾーンであるボールになる高めの直球を投げましたが、見事にとらえられスタンドへ。呆(ぼう)然としましたが、素直にブライアントはすごかった。第2試合でも敬遠の後、本塁打。圧巻の4打数連続弾で西武は4連覇を逃しました。僕は15勝したんですけど“A級戦犯”になりましたね(苦笑)。

 でも、翌90年からは5連覇。90年、巨人との日本シリーズも印象深いですかね。巨人を4連勝で下して日本一の座に就きましたが、初戦に先発したのが私でした。初回、いきなり槙原(槙原寛己)さんからデストラーデが3ラン。ただ、私にとっては相手先発が20勝を挙げた斎藤(斎藤雅樹)ではなく、槙原さんだったことで・・・

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