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平成カープを語る

カープ野球の申し子 野村謙二郎インタビュー 「よかった時代も、苦しい時代もあった。そのすべてが、今の3連覇につながっている」

 

現役時代は攻守走そろった選手として長くショートのレギュラーを務め、「カープ野球の申し子」とも言われて1991年にはVも経験した。しかし、チームはそのあと長いトンネルに入ってしまう。その後は優勝できぬまま引退。2010年からは監督として指揮を執ったが、優勝には届かなかった。今、3連覇するチームになったカープを見て、前監督でもある野村謙二郎氏が思うこととは。
取材・構成=藤本泰祐 写真=BBM

1991年、先輩たちに引っ張られ、現役生活では唯一の優勝を決め喜ぶ[真ん中やや左の無帽が野村]


中心選手での優勝にあこがれ


 野村氏は、ちょうど時代が平成となった1989年にカープに入団。91年にはリーグ優勝も経験し、チームリーダーと評される中で17年間の現役生活を送った。引退後は、評論家生活を挟んで、2010〜14年にかけ、監督としてチームを指揮。のちに3連覇を果たすチームの基礎を作った。まさに、平成の時代をカープとともに歩んできた存在だ。

 子どものころはジャイアンツファンだったんですが、叔父(八木孝)が広島の選手だったこともあって、広島のキャンプも毎年見に行っていました。そこから小、中、高校、大学と野球をやらせてもらって、プロ野球選手になることが夢から現実になってくるにあたって、チームの見方もシフトチェンジしたわけですが、その中でも、広島という球団が僕にとって最も能力を発揮できるチームカラーじゃないかというのがありました。だからドラフトで広島に指名されたときはホッとしましたし、そのあとは、「もうほかのチームは指名しないでくれ」と思いましたね。

 そうして夢を抱いてキャンプに行ったんですが、最初にもう「これは無理だ」と思いました。アマチュアで見てきた上手な人のさらに上、みたいな人ばかりでしたから。キャッチボール一つとっても、フィールディング、バッティングをとってもムダのない動きで度肝を抜かれました。

 よく言われる「カープの練習が厳しい」というのは、僕はそこでずっとやってきたので、それが当たり前という感覚でピンとこないのですが、広島市民球場で親子ゲームがあるときは、午前中はファームのゲームに出て、食事して、すぐ一軍の練習に入って、また試合、ということもしました。そのあたりはキツかったですけれども、今振り返れば、あれがベースにあったので、プロで17年間やれたのかなと思います。苦しい中で、ホントにたまにですけど、練習したことがすぐに結果に出たりするうれしさもありましたのでね。

 引退してからはヒットの数やプロでの年数で語られることも多いですが、自分自身としては・・・

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