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追憶と哀愁のロストボールパーク

大阪球場(1950年-1998年) 浪速のホークス終焉の地

 

ボロだけど味わいがあって大好きだった球場、父親に初めて連れて行ってもらった球場、仕事帰りによく立ち寄った球場、初めてデートした球場──。その幾多の景色は私たちの記憶の中に息づいている。いまはもうなくなってしまった追憶と哀愁のロストボールパーク。野球ファンに愛された11球場の情景を辿る。
各球場の年数は開場年と閉場年。紹介した球場はフランチャイズ終了球場。一部現存球場あり


 南海ホークスが「自前の球場を」と、南海本社が中心となって大阪ミナミのナンバ駅近くの土地を取得し、大阪繁華街のど真ん中に球場の建設を開始。そして1950年1月に工事を着工すると、同年9月12日に完成するという、まさに“突貫工事”だった。本格的な鉄筋コンクリート造りの大規模建築として完成した球場は「昭和の大阪城」と称されたが、球場サイズは小さく、のちに野村克也が戦後初の三冠王(65年)に輝いたとき、「この球場に感謝したい」とつぶやいたほど。その狭い敷地ながら、副収入を得るため、日本の球場では初となる観客席下に多数のテナントを入居させるスペースを確保。さらに・・・

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