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2019球場物語

松本秀夫(フリーアナウンサー)×スージー鈴木(野球文化評論家) “追憶のスタジアム”を語り合う

 

野球に情熱を注ぐ時間が長ければ長いほど、失われたスタジアムの記憶は積み重なっていく。数多くの“ロストボールパーク”を体感してきた元ニッポン放送アナウンサー、松本秀夫氏と野球文化評論家のスージー鈴木氏が、今はなき思い出のスタジアムについて語り合う。
取材・構成=上原伸一 写真=高野徹(インタビュー)、BBM


球場のむさ苦しさ


松本 川崎球場はアナウンサーとしての礎を作ってもらったところでしてね。修業時代はここで予備の予備カードの中継をしながら、しゃべる練習をしてました。いろいろ言われてますが、昭和30年代はきらびやかな球場だったようです。カクテル光線を初めて使ったのもここで、ほかの球場よりかなり明るかったと、元大洋の土井淳さんは言ってました。もっとも放送席は……サンが木製だったので梅雨どきになると、そこにキノコが生えてくる(笑)。おまけに傾斜があるので、大雨が降ると水が浸水してくるんですよ。そこにゴキブリの死骸が浮かんでいて。それは汚い放送席でしたね。

鈴木 村田兆治さんはマッサージを受けていたら、天井からアスベストの塊が落ちてきたそうです。

松本 防球ネットも付近の工場のばい煙などで汚れているから、ファウルボールが当たると、バラバラとススが落ちてきた。下でラーメンを食べているとコショウをまぶしたようになりましてね。

鈴木 私は1980年代後半、川崎市高津区溝ノ口に住んでいたんですが、郵便局のATMのところに川崎球場のタダ券がうず高く積まれていたのを覚えています。ここは川崎駅から少し距離があるんですよね。

松本 ちょっと危ないところを通っていくんですよ。それで駅からタクシーに乗ろうとすると、歩いて行けと怒られて(苦笑)。乗せてもらえなかったことが何回もありましたね。川崎球場というと『金子商店』のラーメンが有名ですが、さすがにラーメンばかりだと飽きる。当時は出前をしてくれる中華屋さんがあり、試合中でも普通に入ってきて、持ってきてくれました。あとは球場の1階に一般の人も入れるレストランがあり、そこでハンバーグなどを食べてました。最近の球場は大手のどこにでもあるような店が多いですが、昔はここでしか食べられないものがどこの球場にもありましたね。

鈴木 先日、楽天生命パークに行きましたら、ビールを買うにも楽天ペイというサービスを使わなくてはならず、隔世の感がありました。私の球場の最初の記憶というと、昭和50年(75年)、小学3年のときの大阪球場です。周りは酔っ払いのおっさんばかりで、ヤジは強烈だし、ビールや日本酒、タバコの匂いが鼻にツンときて。テレビで見ていた輝かしい球場はこんなむさ苦しいところだったのかと思いましたね(笑)。

松本 昔はスタンドでの喫煙が許されていたので、どの球場ももくもくと白い煙が上がってました。

鈴木 川崎球場といえば88年の『10.19』ですが、あのときはすごかった。球場に入れなかった人の中には・・・

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